秋田の田舎者(失礼!)

私が大学3年のときだった。私は日本大学の水泳部に所属しており、同部の合宿所に入って生活していた。大学も合宿所から通い、夏は合宿所に隣接しているプールで朝晩の2回練習。夕方は陸上トレーニングやウエイトトレーニングなども行った。
日本大学の水泳部は当時、全国でトップのチームだった。インカレで毎年常勝し、天皇杯は常に日本大学にあった。
チームに属している選手も、高校時代から日本のトップレベルばかりが集まっており、水泳愛好家的な部員はマネージャーを除いては誰一人としていなかった。
要するに、一般の学生が水泳部に入って来るということ事態がなかったのだ。
そんなある日、同室の後輩が、つぶやいていた。
「あいつ、かわいそうだよな〜、入れてやればいいのに〜」
私が何のことだ?と聞くと、いきなりある1年生の学生が、合宿所に現れ、水泳部に入り、合宿所に入れて欲しいと言って来たのだが、4年のマネージャーが、日本大学の水泳部は入りたいといって入れるわけじゃないと、追い返したというのだ。
私は驚き、その先輩に確認した。
その先輩は、マネージャーであり、競泳選手としてはまったく実績もなく、その先輩の言う論理でいうならばむしろ、その先輩こそ、日本大学水泳部には不要と言うことになるのではないか?

私は3年生だった為、その権限はなかったが、再度その学生を呼び戻し、直接会って話を聞いた。
本人に会い、体を見ると、筋肉質ではあるが、骨が細く、強靭なバネを感じる体つきをしている。出身は秋田県で、水泳の経験があるというのだが、聞くと、水泳部にいたことがあるというだけで、スイミングスクールには通っていなかったというではないか。
変った男だなあ〜と思う反面、今時、珍しい根性のあるやつだなあと感心した。
専門種目はあるか?と聞くと、胸を張って背泳ぎですという。個人メドレーもやってました!と胸を張る。
もう一度言うが私にはなんの権限もない。しかし、この変った青年を水泳部に入れえてあげたくなった。大学という場所は、このようなやる気のある青年、学びたいと強く願う青年を、暖かく迎え入れなければいけないのではないか!という、強い思いが込み上げてきた。

どうせ4年の先輩に話したところで、快い返事をもらえるわけじゃないだろうからと、私は監督に直接電話した。4年生を飛ばして監督に相談するのは、会社で言えば、上司を飛ばして社長に話すみたいなことで、一種のルール違反だ。しかし、相手が馬鹿だったらしょうがない。こんな純粋なやる気のある青年を、チャレンジする機会も与えられないような部だったら、そもそも理念が間違えているはずだ。
それを理解できない先輩は、私から言わせれば、馬か鹿である。

監督は私にこういった。
「わかった。その学生はお前が面倒を見ろ。4年には監督の許可が出たと言え。周りに何か言われるのが嫌だったら、選手としても成功させろ。これからその学生だけでなく、選手を育てろ。コーチになれ。」
というものだった。
事がでかくなり戸惑ったが、肩を壊して実質引退していた私は、マネージャーの役目となりつつあり、水泳部での生活がつまらなくなっていた事もあり、監督に唐突に指示された「コーチ」という役目に、武者震いを感じた。同時に、選手育成には自信があった。尊敬する恩師の米川先生を、私はいつも見てきた。そしてその米さんの能力やセンス、理論を、誰よりも掴んでいた自信があった。

その学生をある日の練習に呼んだ。水着にさせ、裸の体を見る。が、どう考えても背泳ぎの体系ではない。しいて言えばバタフライかクロールだろう。平泳ぎは絶対にありえない。
少し泳がせてみた。本人の言う専門種目の背泳ぎを見て愕然とした。(こいつあほか?こんな泳ぎで専門だと??)
4種目泳がせてみたが、どの泳ぎをとってもいける!と感じさせるだけのストロークはない。
だが、クロールの時のストロークのスピードが、とても速い事に気づいた。肩をローリングさせないフラットな姿勢のまま、ガッと勢いよくかききってしまう、強いストロークに感心した。
(こいつはクロールの短距離だな。それしかない。)
そう考えた私は、彼に話しかけた。
「君、背泳ぎはダメだから。クロールの短距離にするから」
すると、キョトンとした顔で、「なんでですか?」と聞いてくる。ろくに泳ぎもせんのに生意気な。そこで私は彼に話しかけた。
「君、水泳部に入ってどうしたいの?」
すると彼は、「速い選手になりたいんです!」
という。速い選手になりたいんです!なんて、目をキラキラさせながら言える純粋さに感動し、私は彼にこう言った。
「君、強い選手になりたいのなら、何でも言う事を聞けるかい?」
「私の言う事を、一切文句を言わず聞き、言う通りにするかい?」
「私の言う事をすべて聞くなら、日本一の選手にしてやる」
そう言った。

私も覚悟したのだ。
彼を強い選手に育てなければ、先輩を見返すことも出来ないし、何より監督との約束は、しっかりと選手として育てる事だった。
完全に素人状態の若者を、短期間でトップスイマーに育てるには、普通のことをやっていてはだめだった。
常識を覆すような練習を考え出し、周りからは非難の声を浴びたこともある。そんな練習していて速くなるわけがないと、陰口を叩かれた。
4年の先輩からは、キャプテンを除いて、白い目で見られた。練習も無知な先輩達が作った、非効率なメニューの練習を、合同で参加することを義務付けられた。チームとしては当たり前のことかもしれないが、シーズンを8ヵ月後に控えている事を考えると、完全に体を仕上げるのには時間が足りなかった。
私は彼に、全体の練習に参加し、それが終わった後、さらに私の練習をやらせた。そのおかげで彼の練習時間は普通の選手の倍以上になった。

突然現れた秋田の田舎者(失礼!)は、どんどん成長した。そしてその時のシーズンはインカレで入賞し、最終的にはインカレで優勝した。日本一の選手になった。
彼の名前は「原田長政」さん。現在は起業し、社長となった。
水泳を引退した今も、私は彼が誇らしい。