西宮ピープルスイミングスクール

今日、兵庫県の西宮に仕事で行って来た。
西宮というと思い出す事がある。今から30年以上昔、西宮に、ピープル西宮というスイミングスクールがあった。
私は当時小学校3年生くらいだっただろうか。そのピープル西宮に、当時、学童!と呼ばれた、「水谷吉一」さんという選手がいた、歳は2つ上くらいだったと思う。
もう〜、とにかく、どうにもこうにも、誰も歯が立たない選手で、全国大会では毎年優勝する、凄い選手だった。
日本学童新記録を、フリースタイル(クロール)で、すべての種目で更新していた。
しかし往々にして、小学校時代にとてつもなく強い選手と言うのは、成長が止まるのが少し早く、中学・高校に入ると、ほとんどの選手が消えていってしまう。
水谷選手も、中学時代にはすでに、トップではなくなっていた。私自身も、彼を抜いていった。中学に入ると、水谷さんと同じ組で泳ぎ、彼に実際に勝ったときは、とても不思議な感じがしたものだ。
信じられないような、悲しいような・・・。
私にとってはなんだか、勝ってはいけない聖域のような世界が、水谷さんの世界観だった。
「ザッ!ザッ!ザッ!」と、低いリカバリーで、力強く泳ぐその姿は、金輪際誰も勝つことなどありえないように見えたし、さらに、小学校の時からすでに、大人なみの凛々しい顔をしていた。
体も私の前後左右共に、倍以上あった。

私の小学校時代は、「もやし」と言われたほど細くてギョロギョロだった。だから、水泳大会などに行くとなお、その細い体が目立ち、頼りなさそ〜に見え、速くなさそ〜に見えた典型的な子供だった。
実際小学校時代は、全国大会では5年生でようやく入賞し、6年生では3位がベストだったと思う。
それでも考えてみれば、全国大会(年齢別)で3位以内に入っていたんだなあ〜。
水谷さんは年齢別ではひとつ上のクラスに当たるため、直接当たったレースは少なかったが、中学に入ると、時々リレーなどで同じ順番に当たった。
中学3年から高校に入ると、完全に私はトップクラスになり、長距離の選手となって新記録などを連発し、短距離には出場しなくなった為、水谷さんとレースでは当たらなかった。一度どこかのレースで、200mフリーのレースで当たり、あっけなく勝った記憶が最後に彼と当たったレースだ。

でも、30数年経った今でも、私の中に、強い記憶として残っている。忘れることはないあの泳ぎ。あの迫力は、スイミングスクールの選手クラスに入ったばかりで、全国レベルという世界を始めて知ったときの私には、強烈だった。あの凄まじいインパクト、それがまさに「水谷吉一」さんそのものだった。

水谷さんは今どうしているだろうか。大学では確か中京大学に行かれていた気がする。大きくなって、トップスイマーではなくなってからも、大学の水泳部に所属し、陰の立役者となって、部の為に努力されていた事を思い出す。インカレでも、チームのマネージャーとなって、活躍されていた。

あの頃は互いにまだ、どこか選手としての立ち位置での関係だったからか、あまり親しく出来なかった。
水谷さんも元トップスイマー。
私も元トップスイマー。
今だったらきっと、気さくに昔話が出来る気がする。そして、互いのまた違った視点で、当時から今にかけての水泳界を語れるのではないだろうか。
会ってみたいなあ〜。