仕事も人生も戦略が必要?

会社の研修。

出席者が多ければ多いほど、全体のペースに合わせて進行するから、展開が遅い。普段から考える事に慣れている私は、自分で言うのはおこがましいながらも、どんどん進める事が出来る。だから、周りや進行が遅く感じ、待っている間が辛い。朝9時から夜20時まで、ほぼ椅子に座りっぱなしでいる中で、全体の進行が遅い事ほどつらいものはない。
仕方がないので、周りの人達のお手伝いをする。どの様に考えればよいのかなど、なるべく日常に置き換えて説明する。
彼らはそもそも、主旨の理解は早いので、思考の手法だけアドバイスすれば、きっかけを掴んだように、リズムに乗る人もいる。
しかし、何かを生み出すという回路は、サラリーマンの、実はもっとも苦手とする分野なのかもしれない。みんな苦労していた。
今回の研修は、会社の幹部研修だ。幹部だけあって、研修の内容そのものを理解する能力はさすがだ。
しかし、実際に「無」から「有」を生み出す作業になると、途端に思考が停止するようである。つまり、知恵を使う段階になると、なかなか思いつかないようなのだ。


私はまったく逆。


文章を読んで理解するのは本当に遅いのだが、感覚的に理解する事が出来た瞬間から、途端に自分の思考回路に道が出来て、どんどん思考が進む。
今回の幹部研修は、何もないところから、なんらかの有効な有形戦略を生み出すというような打ち込む決意と知恵とを要求される思考研修なので、私は得意な分野である。
どんどん思考が広がって、夢を想像する。
想像した夢(遠い目標)から、今度は逆にさかのぼって、まずはどこから手をつけるか、具体化する・・・・・。
考える事は楽しい。


しかし、自分の人生をこのように考えるのは怖くて出来なくなるのが私の弱さだ。自分の人生とて、同じように戦略を立て、戦術化していけばきっと上手くいくのかもしれないのに、妻や子供を巻き込んで、しかもその責任を考えると、めんどくさくなる。危ないし。説得とかも面倒だ。こうして私は自分の人生を目の届く範囲と、手の届く範囲に留まらせている。





マチュアスポーツの世界で、チャンピオンを目指していた頃、練習でも何を考えるにしても、どうやって勝つか、どうやったら勝てるか・・・、そればかりを考えていた。そしていくつ物戦いに勝利してきた経験を積上げていた。
だからきっと、勝ち方を考える「癖」が自分の思考回路にあるのかもしれない。
しかしだからこそ逆に、本当に自分ががんばった状態を知っているから、そこに自分を置く事を、もっとも恐れるのだ。
勝つための集中力と、その行動は、突っ走っている時、本当に辛い時間でもある。それを知っているからこそ恐れる。あの辛さを繰り返すのは、物凄い勇気がいる。そして遠い昔、あの頃自分が猛スピードで走っていた時間とあの頃の自分が・・・・・、私の憧れの人間像でもある。