コンサート

小学校5年生の時の沢田研二のコンサートに、お袋に上手い事だまくらかされて行かせてもらえなかったあの恨みを忘れたことはない。

あれから数年間は思い出すと悔しくて腹ただしくてしょうがなかった。
ほんの数日前までは、沢田研二の大ファンだった私をコンサートに行かせてくれるはずだたのに、前日あたりになって突然私が行くからと、お袋が行く事にされた。
音楽が得意で、歌うのが得意で、合唱団でもソプラノ担当だった私。
歌手を夢見ていた子供の頃。

スイミングの選手クラスの練習は365日休みなし。ずっとずっと友達ともろくに遊びもせずに練習漬けだった小学生の私が、たった一日だけ、スイミングの練習を休んで行く予定だった沢田研二のコンサート。
大好きな沢田研二
お年玉で買ったのは沢田研二のレコード。
たった1日だけだったのに。
あのコンサートに行かせてもらえなかった。



今はなき、吉原市民会館は、私たち富士市吉原の住民にとっていつものイベント会場。
学校の発表会関連はほぼこの会場で行なわれた。
なじみのあるこの施設に、レコーダ大賞の沢田研二が来たのだ。
心から楽しみにしていた私は、このお袋の裏切りに、大人の汚さを視たのだった。
だから娘にはそういうことは絶対にしない。



私の子育ての基準は、両親への反面教師と、恩師への教師によって形成されている。

恩師にも欠点はある。

両親は欠点だらけの子育てであった気がする。

私は父親の異常なほどの暴力で小学校時代を育ち、それを横で助長する母親を見てきた。

今私はこの歳になり、自分の子供を見たとき、なぜ私の父親は、あんなに私を殴れたのか、未だにどうしても理解できない。


私は子供の頃から頭の回転が良い所があって、親のいい加減な言葉尻を逃さなかった。
適当なこと言う大人に、「それはおかしい!」といちいち反論した。
両親はきっとそれがうるさくてしょうがなかったのだろう。
論理を苦手とする人間にとって、論理ほど苦痛なものはない。
母親は耐え切れずヒステリックになり、父親は我慢できずに私を殴り続けた。

我が家でも次女は頭の回転が早く、論理思考があり、妻に反論する。その反論が的を得ていて、妻はヒステリックに怒る。
そういうときの怒りは、ほぼイジメ状態とも言える。
見ていると、
(ああ。昔お袋も、こういう風に私に苛立ったのだろうな)
と思える。


私の小学校時代。
スイミングのコーチが竹刀を使って、制限タイムの切れなかった子供たちのお尻を竹刀で叩いているのを見て、両親は、自分たちもそうしようと、なんと、剣道をやっている従兄弟の家から、古くなった剣道の竹刀を送ってもらい、私を殴る道具にした。
父親は、
「おまえを手で殴ると、こっちが痛いから、竹刀で殴る事にした」
と言った。

父は、スイミングのコーチの行為と、自分のやろうとしている行為を、同じロジックに見立てたのだが、実はその意味はまったく違うものだった。
スイミングのコーチは、「いくぞ〜!」っと言いながら、十分に子供に身構えさせてから、一番頑丈な【お尻】をひっぱたいた。それでもメチャクチャ痛かったし、みんなゴーグルの中が涙でいっぱいになるほどであった。


しかし父の竹刀での殴り方はそうではなかい。
そもそも、子供を思いっきり殴りすぎて、自分の手が痛いから、自分の手の変りに、竹刀という殴る道具を使う・・・・という、そのロジックは大変危険なものであった。

目の前に私を正座させ、真上から、「パ〜〜〜ン!!」と頭のてっぺんに思いっきり振り下ろすパターンは、まさに星が飛ぶと言うやつで、軽い脳震盪を起こす。
私が泣きながら何度も何度も頭を殴られていると、隣で見ていたお袋がこう言った。
「あんた、頭やると馬鹿になって、こっちがあとで苦労するで!」
「カタワになったら親が苦労するだから!」
そう言い、他の場所にするように言うのだ。


父は今度は横から腕を殴る。
バシバシと、内出血し、腕の上腕部が真っ黒になった。


あの頃の我が家の両親は、完全に異常者である。

後に聞いた話から推察すると、父も母も、自分の人生設計上のプロセスで、ストレスが溜まっていた時期ではないかと思う。
こんな事をされても私は親を許し、恨みは風化した。

それは、中学で親元を離れ、寮生活をしたことで、親のありがたみをなかば強制的に理解してしまったからだ。
当たり前に食事が出来る事。
当たり前に洗濯ものが着れる事。
当たり前に医者に連れて行ってくれる事。

寮生活ではそのすべてを自分でやるしかなかった。
だから、あれだけ暴力をふるわれても、その他の、助けられた部分への両親への感謝が、現実を上回ったのだ。

風化した恨みのはずだったが、今自分の子供たちを見ていると、あの頃の両親を思い出す。
なぜどんな理由があろうと、あれほどにまで殴れたのか。
なぜ、嘘をついて、私をコンサートに行かせなかったのか。
お袋は私に水泳なんかより、音楽の道に行けば大成していた・・などと、昔はよくそう言った。
しかしそのお袋事態が、音楽、歌手のコンサートには、私を騙してまで私には行かせなかったのだ。

結論、自分が行きたくなっちゃったんだろう。
ぷぷっ。


ただそれだけの話だった。


彼女は素直に私に、
「隠していたけど〜、お母さん、ジュリーの大ファンなの〜、お母さんにコンサートにいかせてえ〜〜〜〜〜」
とでも言えばよかったのだ。そうすれば、こんな風に子供に思われずに済んだろうに。


あの頃から35年近く経過し、私は親になった。
間違えても子供騙して自分がコンサートに行く事もないし、子供を竹刀で所かまわずぶん殴る事もない。
自分の価値観を押し付けることもないかた、無駄に子供の反抗も来ない。
そして、子供の反論、反抗を時には認める事もある。内容によっては、子供が正しい方向に向いていることもあるからである。

シロかクロかではないのだ。
混ざり合った色合いの中にこそ真実がある。