会えば一瞬にして昔のままに

椎間板ヘルニア。地獄の痛みをなんとか乗り越え、3日ほど前から急速に状態が良くなってきた私。
まだ痛みはあるものの、耐えられる範囲になってきた。
この、耐えられる範囲・・・ってのがミソで、ヘルニア経験者にはわかる感覚だと思う。




わが事業部では、入ったばかりの新人を、さっそく転勤させなければならず、数か月一緒に過ごしたことを思うと、胸が痛い。
情が移るよ。
私のヘルニアが回復基調にあることを知った、私のやさしい部下たちは、ずいぶん会社を休んだ私に、送別会に出てくださいと、何度も連絡をくれる。
迷ったものの、回復したのだから行こう!と、金曜日は部下の送別会に。
ガンガンに二日酔いになるほど、そして、その行動をほとんど覚えていないほど、酔っぱらいの私。左手と左肩甲骨あたりを必死に気にしながら、数時間飲み続けた。

ずっと家に籠っていたから、みんなと騒いだのは最高にストレス発散で、調子に乗って飲みすぎ。




次の日昼の12時まで爆睡し、起きてからも完全に二日酔いの症状。
気持ちが悪い時は妻に甘えるのが一番。
一緒にカレーそば食べに行こうよってお願いし、お出かけ。
ゆっくり食べれば胃にもやさしい。
美人と食べる食事はなおウマシ!!


そして夕方からは久しぶりの競泳仲間との懇親会!
鈴木大地さんをはじめとする、水泳界過去のスーパースターが勢ぞろい。
(私も過去はスキャンダラスなスーパースター。)
それぞれがみんなデブに変身している中、さすが大地さんはビッシッと、ナイスバディを保持。



そして、我が家の「神」、近藤利浩さん。

まさに職人とも言える、選手育成のプロとなった近藤さん。
昔は背泳のスーパースター。数々の女性を泣かせてきた色男。
そんな近藤さんは、私の無理な頼みを聞き入れてくれ、水泳の素人である私の息子を、JSS富雄に紹介してくれたのだった。
皆まで言わずとも、私の気持ちを瞬時に理解してしまう近藤さん。
やっぱりそういうところが凄いコーチなのだ。
並みの感受性じゃない。すげえぜ。
近藤さんのおかげで、息子の人生が変わった。
水泳に打ち込む子供の姿は、それまでのフラフラした、ちょっと弱虫な名前負けの息子とは違い、初めて半年にもかかわらず、玄人の私が見ても、「うん。だんだん競泳選手になってきた!」と思えるほどに成長。それもこれも、近藤さんのおかげなのだ。
息子と観戦した大阪なみはやドームでの日本選手権。
その日本選手権をきっかけに、帰りに息子がつぶやいた一言で、私はそれまでの考えを改め、息子と共に、競泳の世界にもう一度飛び込んでいこうと決めたのだった。



『お父さん・・・・僕、水泳部入る・・・・』



危なかった。声を出して泣き出しそうなほど、息子の言葉に感動した。
そして大きな後悔が襲ってきた。
こんな事になるならもっとずっと前から徹底して水泳をやらせておけばよかったと。
過去に自分が生きてきた競泳人生は、華やかな部分とは裏腹に、その陰には苦労や苦痛な出来事があまりにも多かった。そして、最後の水泳からの離れ方も良くなかった。
だからそんな思いを息子にさせたくないと、私は勝手に息子の人生を抑制していたのだ。



そうして息子は水泳部に入部。
親友のボブ(長畑弘伸さん)は、息子にジャージやゴーグル、Tシャツなど、色んな水泳専門のアイテムをプレゼントしてくれた。

妻と私は、息子の水泳に一喜一憂。
次女や三女、末っ子までが
「私もスイミングに行きたい〜〜〜!!」
と、今では4人がスイミングスクールに行っている。
それもこれも、近藤さんの心意気がきっかけなのです。
(4人の月謝は経費かかりますが・・・・・)



大地さんと近畿大学水泳部監督の田中さんと、現在の水泳界の事について色々話せた。
選手の事ではなく、選手以外のことについて。



私は大地さんに早く競泳委員長になってほしい。
今、日本水泳界は非常に世界的にもレベルが高い。
しかし、それは、過去、世界では全く歯が立たない時代を、必死に乗り越えてきた先人が居たからだ。
昔を馬鹿にして、切り捨てるのは簡単なことだ。
しかし、どんな結果にも原因がある。
30年前、25年前、あの頃の水泳界は暗黒の時代だったのかもしれないが、それでもその見えない壁を、突き破った俺たちのヒーローがいた。
ソウルオリンピック100m背泳ぎ。
鈴木大地の金メダルである。
大地さんの金メダルには、それまで大地さんを育てた陽二先生の功績はとても大きい。しかし、それだけではない。大地さんに影響を与えた多くの先輩スイマーや、私たちのような仲間でありライバルである選手たちがいたからであろう。



大地さんのソウルのレースの時、その頃、日本で同時刻に、日本大学水泳部は、すべての部屋で、テレビのオリンピックの中継を食い入るように全員が観ていた。
トップで大地さんがタッチした瞬間、目黒区碑文谷にある、鉄筋コンクリート造りの頑丈な日本大学水泳部合宿所が、「ドンドン!!」と大きな音を立てて揺れた。
日本大学水泳部の部員100名の中で、大地さんの友人はきっと10名程度だったと思う。
しかし、日大水泳部は、鈴木大地の金メダルに喚起し、喜び、ジャンプし、肩をたたきあい、感動して涙を流す者もいたほど、それほどに爽快なシーンだったのだ。



過去のブログにも書いたが、あの時代の多くの日本のトップを泳いでいた選手たちは、大地さんのオリンピック金メダルによって、自分の水泳人生を総括できたと思う。
皆が鈴木大地のレースによって救われたのだ。



それがこんなにただの人だなんて・・・・。(爆)


長谷川浩三さんや、同志社大学の水泳部の皆様とも同席させていただき、本当に楽しい時間。



3軒回って、気が付けば夜中2時半。


お金もいっぱい使っちゃいました!

経費かかるなあ〜〜〜