奇跡の国

日本には『売国奴』(ばいこくど)と呼ぶに相応しい新聞社がある。

朝日新聞だ。

あさひ新聞と普通は読むのだが、むしろチョウニチ新聞と読んだ方がピッタリな気がする。



今回の竹島の問題で、野田総理の親書を、南朝鮮の大統領が送り返したという、まるで戦争状態の国同士であるかのような行為に対して、なんとあの朝日新聞は、『冷静になれ、冷静に』とまさかの日本の政府に対して、社説などで述べている。

いやいやいやいや、それはあちら様に言うことですからチョウニチ新聞さん。
チョウニチ新聞は、過去にも、100人切りの捏造記事によって日本兵を落としいれ、アメリカによって死刑にさせたり、捏造作家を持ち上げて、ただ、金儲けの為に売春をしていただけの半島人を、従軍慰安婦だと自虐プロパガンダしたり、底抜けに支那漬けになっている新聞社だ。
もう、何回も何回も何回も言うが、従軍慰安婦などという存在はない。なんの証拠もなく、なんの歴史的脈略も存在していないのだ。
半島側の示す、ほんの一握りの証拠というのは、たった1人程度の証言だけであり、この証言も、二点三点、話がいい加減で、聞き手に誘導されて、話を捏造するものだから、結局すでに半島側の知識人も諦め始め、最近では従軍慰安婦という言葉から、【従軍】を取り除き、慰安婦慰安婦と言い出し、今度は日本兵の侮辱に矛先を変え始めている。
半島人はもう馬鹿すぎて相手に出来ない。



また、チョウニチ新聞は、野田総理の親書を返しに来た韓国大使館職員を外務省が門前払いしたことについて、「大人げない」とか、「子どもじみた応酬」と批判して、日本政府も頭を冷やすべきだと社説で指摘している。



もう空いた口が塞がらない。


だから〜・・・・・。(あ〜めんどくさ)
最初に親書受け取らないという、世界の外交常識上、とんでもない暴挙に出たのは、退任まじかで、逮捕恐れてパニックしている、南朝鮮のクサレ大統領ですから!




朝日新聞というマスコミは、南朝鮮と同じ感覚の会社である。
もしかしたら、物凄い人数の帰化人が勤めているのだろうか。



恥ずかしい会社である。



日本には、どうも昔から、一部のマスコミや政治家に、やたら自虐的になりたがる売国奴が多く、特に、支那や、南朝鮮などの事になると、謝りたくてしょうがなくなるらしい。
河野洋平という恐ろしく無知で馬鹿な政治家が、半島で大儲けしたにすぎない、当時は慰安婦と呼んだ売春婦を、なんの証拠もないまま、勝手に支那に向かって従軍的な要素があったかのごとく謝罪してしまったことから火がつき、その問題のせいで、今でもこの問題が半島の外交カードに使われているのだ。

味方を裏切り、敵陣地でペコペコ謝りながら、勝手に凶器を手渡し、そして味方に攻撃されるはめになったみたいな話なのである。



終戦記念日靖国神社への参拝も、支那になぜ文句言われなきゃならないのか。
なんだか支那人は、A級戦犯靖国に眠っているから許せないとか言っているけど、靖国神社は【お墓】ではないんですけど。
神社の概念の何たるかもまったく知らない、これまた無知で馬鹿な支那人どもは、靖国に戦犯の骨があると思い込んでいる。
しかも、A級戦犯の意味すらまったく分かっていないのに。


靖国は、【英霊】を祭っているところである。


支那人どもよ、よく聞け。
おまえらに、【魂】とか、【英霊】とかいう、八百万神の国、森羅万象の概念がわかるか?
自分の都合の為だけに、虐殺や殺戮を繰り返して成り立ってきたような支那と言う国と、日本は根本的にも、歴史的にも、まったく違うのだ。
もうこれは、違う生物と言いたいくらい違うのだ。


先日少し書いたが、朝鮮半島は、ほんの数十年前まで、女性は胸を露出していなければいけない国だった。
胸を隠す事が許されない、おっぱいの隠れる服を着てはいけない国だったのだ。
あの有名な半島服のチマチョゴリは、本来胸元がポッカリ開いており、乳房を露呈させる服だったのである。
日本の大東亜共栄圏構想がなかったら、今でもおっぱいだしているかも。

本当にそんな国のままじゃなくてよかったね〜。南。

しかしそれは南朝鮮の自国の力じゃないのである。
日本が大東亜戦争で敷いたインフラ、鉄道、何万もの学校のおかげなのだ。



感謝するのが普通でしょ。



しかし、朝鮮半島は、大東亜戦争時において、日本を裏切る。
日本にさんざん金を使わせて、鉄道や学校、水道電気などのインフラを徹底的に整備してもらっておきながら、日本が劣勢になると、アメリカに追従する。
その暴挙がきっかけとピ言ってもいいだろう、朝鮮半島は、南と北に別れ、同じ朝鮮民族同士で殺し合いを始めるのだ。
同じ民族同士。
同じ民族同士で、互いの敵側か?北か?南か?と疑られ、スパイ扱いを互いにし合い、数十万人という民族同士を、同じ民族が、銃殺した。


日本で言うと・・・・・、
東京から東と西で国が分断し、互いにボコボコ殺しあうって事である。
「お前はどこの出身だ!!何??福島??許さん!殺せ!」
とか言って銃で撃たれてしまうと言う事。
それが朝鮮半島の現実。
しかも、今でもそのまま。
しかも北は独裁国家で犯罪の温床。
日本人拉致のプロ集団による国家。
しかもその裏で、ほとんどの国民が餓え、弱く貧しい者が、今もバタバタ死んでいっている。

もう手が付けられない陸地。
それが朝鮮半島なのだ。




一方、台湾という国の国民は、支那や半島とは違う。

台湾は、支那人という人格破綻した、生活レベルの低い、道徳倫理の存在しない民族が、戦後、蒋介石軍としてなだれ込んできた時、それまでの日本統治時代によって培った、様々な公共施設やインフラをすべて壊し、略奪の限りを尽くすし、まともな服も着ずに、トイレもろくに使わず、あたり一面に無造作にクソをする支那人を見て、心底恐ろしくなり、ショックを受けたという歴史があるので、日本統治時代が、いかに良い時代だったか、を、心底理解している国と国民なのである。
これは主に、本省人のことを指すのだが。
支那から渡ってきた族は、外省人と呼ばれており、台湾は支那の中の一部であると主張する側の、いわば現中国人である。
強奪、略奪、強姦の限りを尽くして台湾に入ってきた支那人である外省人と、もともと日本統治時代に、日本の文化に直に触れて育った元の台湾人である、本省人
台湾は支那人の侵略のせいで、現在も支那側と、台湾独立側とに二分されている。





日本にとって最大の災害となった3.11の震災。
まさに【災厄】とも呼べるこの悲惨な国民の危機の真っ只中、そんな日本の姿を見て、諸外国が最初に心配したのは、日本国民の、暴動や強奪や略奪などによる、国の混乱であった。
しかしそれらを心配した諸外国のマスコミ、メディア、あるいは政府は、日本の文化の深さを垣間見る事になった。
震災当日の東京、100万人規模の帰宅困難者が都内のあらゆる駅に立ち尽くし、途方に暮れている最中、外国メディアは、いつ、どこで暴動略奪が始まるか、それをスクープしようと待ち構えていた。

しかし暴動どころか、実に困難な状況下で秩序を失いかねない環境にあって、日本人は、自己の人格による秩序のみを頼りに、互いに助け合い、励ましあい、都内のあらゆる商店やお店、飲食店なども、トイレや食事を無償提供し、数キロ、数十キロの道のりを、トボトボ歩いて帰る、サラリーマンやOLを助けたのである。
会社にも泊まる事ができるよう、経営者判断も早く、様々な手を打ち、翌朝の3月12日を、まことさわやかに迎えたのだ。



しかし、諸外国メディアと政府は、震災直後の東北は、これからが危険だと予測。
当の被災地東北地方で、暴動・略奪騒ぎが起こるのは至極当然の事と予測し、その取材体制を準備する。
しかし、日本人、東北人は至って落ち着いた振る舞いを崩さない。
秩序のない無造作な大陸の振動による災厄に、誰からともなく、冷静に秩序正しく、ひとつひとつの現実を受け入れていく姿勢と個人の倫理道徳、そして愛溢れる秩序に、世界中が愕然とし、驚いたのだ。
日本は世界から見ると、【奇跡の国】と言えるのだ。



こんな災厄を引き起こすのは、神にしか出来ない事。だから、神が起こすのなら私たち人間は、静かに落ち着いてそれを受け入れ乗り越えなければならないのだと言う、【神の国日本】だからこその、【神話】による歴史の積上げから培った人間文化が、この時の日本を支えていたのではないだろうか。



地震で窓ガラスが割れ、商品が床に散乱しているコンビニで、被災した住民は、静かに床に落ちた商品を拾い、それを拭き、だまってレジに持っていって、お金を払って購入したと言う。
しかも、それは小学生の子供であった。
これほど、文化文明を国中に浸透できている国は、世界のどこを探しても存在しない。
日本という国だからこそ、起こりえる奇跡である。







支那人には到底理解できないであろう震災直後の日本人の秩序。
朝鮮半島南朝鮮にも到底理解不能、思考停止する程のギャップを感じるであろう、彼らから見たら、奇跡にしか見えない、日本人の振る舞い。
このように、日本人だからこそ解る、【英霊】を祭る意識が、靖国にはあるのだ。



靖国の事を理解できる国は、いわば日本以外にはないのだ。



文明の遅れと、文化の積上げのない朝鮮半島に、このような秩序は存在しない。国民が自分たちで苦労して学ばない限り、国民の道徳を担保する事は不可能なのである。



そもそもの国の成り立ちが、殺戮と強奪による成り立ちである支那に、ゆずり合いの心や、思いやりの精紳など、存在するはずもない。
あの他民族を恐怖によって統治している国には、日本のような個人秩序の積上げによる集団秩序が存在しない。
銃で脅して言う事を聞かせるという、恐怖政治と、そして、隙あらば、すぐに略奪し取って代わろうとする、足の引っ張り合いの精紳しかない。
コンビニの床に落ちている商品は、支那人にとっては自分が見つけ拾った、自分の物でしかないのだ。



支那と半島は、心のホームレス国家である。