神の啓示

あの3月11日の午後、大阪も少しだけ、【グラグラ〜】という緩やかではあるが、横に大きく、今まであまり感じた事のない揺れだったように記憶している。
しかし、仕事中であった私は、その直後にはまた慌しく仕事に戻り、瑣末な社内提出書類を一刻も早くやっつけるため、パソコンのキーボードを打ち続けた。

まさかわが国の東北の地で、あんな災厄が起きているとは微塵も思わず、まさか福島で原子力発電所が電力を失い、核融合による臨界を止められない状況に陥っているとは、想像も出来ず、夢にも思わなかった。



しかしなんとなくあの揺れ方が気になって、仕事中に一息入れ、一応、震源地くらいは調べておこうと思い、ヤフーを開き、そこに書かれた記事と、速報内容に愕然とし、目の前が真っ暗になった。

怒涛のような黒い波が、そこにあるあらゆるものをなぎ倒し、冷たく溶けた溶岩のように押し寄せ、すべてを巻き込んで街を破壊していく。
動いている車を飲み込み、民家の影で見えないでいる自転車を飲み込み、畑の中に立つ、住民の暮らす家々をブラックホールのように吸い込んで進んでいく。



インターネットの映像を見て、会社の事務所でたった一人、涙を流すだけの私。
涙を流す以外に、何も出来ないし、何も思いつかない。
中途半端に口を開けたまま、身動きせずに固まるしかない自分。

東北にある、我社の拠点は大丈夫だろうか。そう思うが、こんなタイミングで現地の誰に電話しても、かえって邪魔になるだけだ。
じっと堪え、本社指示や報告を待つ。
しかし誰も何も言ってはこない。
まだ、誰も正確な情報をつかんではいなかったのだろう。
何も出来ず、何も考えられないほどの衝撃を受ける自分。



家に帰り、テレビをつけると、どの番組もすべて中断し、とにかく臨時ニュースで、各局が今まで起きた、あらゆる地震による災害の映像シーンを放映し、何度も何度も繰り返して解説していた。
体の力が抜けている状態で、その報道を見ながら、横でいつもと変りのない子供たちの声を聞いている。


(なぜ俺は生きている?)
(なぜこの子達は生きている?)
(なぜ東北だけが・・・・・)

たまたま関西に住んでいた私たち家族。
たまたま東北の海岸線に住んでいた被災者の方々。
私が命を失わず、東北の人が津波に飲み込まれたその違いはなんなんだろう。
私の子供たちが何不自由なくいつも通りの生活を送り、東北の子供たちが両親を失った、その違いはなんなんだろう。

この異様なギャップに、何かとてつもなく、日本列島の終焉を予感させるような、そんな異様さを感じていた。


一晩中、寝ずに何度も繰り返される報道番組の映像を見続ける。
せめて起きていよう。そんな気持ちでテレビに何度も映し出される被災の状況を見続けた。



福島第一原発が、制御不能になっているという報道をテレビで知る。
(ああ。もうメルトダウンするな。)
昔読んだ原発の本で、そのことはもう解った。
しかし、テレビに出る原発関係に詳しいという大学教授やコメンテーターは、まったく違う事を言っていた。
結論、大丈夫でしょう〜と聴こえるお話に、私はまたしても異様な危機感を感じていた。
そして水素爆発。
制御棒が溶けているからこそ、水の中や酸素の中に、中性子がバンバン飛び交って、外へ水素をはじき出し、原子炉格納庫の中は水素でパンパンになる。
ウランの核に、中性子がぶつかりまくり、常に臨界状態で青い炎を燃やしてどんどん溶ける。
あたりは人工的な臨界によって生み出された100%純度のプルトニウムが残る。
地球で一番簡単な核融合で出来る一番危険な有毒物質。
それが、福島の原子炉と、原子炉の底を溶かして、土壌にしみ込んでいる。



私は当時、あの惨劇と恐怖と絶望の現場で、まさに【決死の覚悟】で、被曝の恐怖と戦いながら作業をする、現地の作業員の方々を思い、今まで何不自由なく電力を謳歌し、好きなだけ冷蔵庫を使い、思う存分洗濯した服を着て、眠れないからと深夜に映画を見て、食事をしながら馬鹿な番組見てケタケタ笑っていた自分を、心から恥じた。
(こんな私が、原発の何を言えようか。)
しかし、言わない事もまた罪である。
思ったことを言おう。
できることをしよう。
自分の閉塞感を奮い立たせ日記を書き、物資を送った。
自分のわずかなひと財産が消えた。



命を賭して福島の原発を制御すべく働いた作業員の方々。
あたり一面を暴れまくる放射線の中、いつもの数百倍の放射能を浴びながら、そしていつ核爆発してもおかしくない原子炉建屋に、まさに決死隊となって海水の放水を行なった東京消防庁消防団員、自衛隊の方々。

私たちはあなた達によって救われたのです。
朝の出勤電車の中、今もあの現場で、決死隊となって作業を続けているすべての作業員や消防団員や自衛隊員を思い、目が涙で滲む。
何事もなくいつものように流れる、東大阪のとある駅の、いつもの風景を眺め歩きながら、これから人類が長い間の時間をかけ、神に償っていくことになる、福島の現実を思い浮かべ、今から10年前に逝ってしまった恩師を思い出していた。


我が師を探し、空を見る。どこかでこの日本の厄災を見ているだろうか。

あの人だったら何と言うだろうか。
あの人が生きていなくて良かった。
とても心を痛めていたに違いない。
何も出来ない無力な私を、あの人に見られたくない。
もう金もない。
仕事を捨ててボランティアするのは間違えている。
そうか。せめてしっかり仕事して、小さな経済の末端を支えよう。



テレビでは、わかった風な、好き勝手な事ばかりを言うテレビの大学教授も、コメンテーターも、いいから黙れという気持ちで、画面を消した。
でも、自分に向かってそう思っていたかもしれない。



今、福島第一原発は、日本人だけでなく人類からも、まるで恐怖の館として、地球最大級のゴミとして、また宇宙規模の危険地帯として忌み嫌われている存在となった。
しかし、福島原発はずっと、大都市東京に電力を供給し、経済を支え、産業を支え、電車を動かし、人々の生活を支え、娯楽を支えてきたのだ。
ずっとずっと、ただ人類の為に、福島原発のウランは、人工的核分裂を続け、人類の制御不能な臨界の炎を燃やし続け、プルトニウム化しながら、働いてきたのだ。


神の怒りに触れたのかもしれない。
石原都知事が、あの震災と、津波福島第一原発の事故の事を、神さまの罰(バチ)が当たったのだと発言して、マスコミにギャアギャアと批判されたが、私は強ち、そのとおりなのかもしれないと思った。
神の怒れる場所となった福島原発は、よもや人類による【制御】というテクニカルな一面だけでは、後世に引き継げないのではないかと思える。
核融合は宇宙の成り立ちを現している。
人類は宇宙の創造のプロセスを、すぐ隣町でやった。
中性子の運動量を制御するだけしか、核融合のコントロール技術を持っていない人類が、不確定なエネルギーである核分裂、臨界を起こしてしまい、すでにそれを、最大の武器と、生活電力で使用しているのだから、もう後戻りはできない。
人工的に人類が、どこであろうと核の臨界を誘発した時から、【脱原発】などという言葉がむなしい非現実的な言葉であることは解っていた事なのかもしれない。
もう人類は【脱:原発】は不可能なのだ。
数百年どころか、プルトニウムにおいては、そのレベルを超えているという核物質の脅威。
むしろ、福島第一原発はこれから、原発ではなく、祭る場所にしていくべきではないだろうか。
神の怒りに触れた場所。
福島原発を、神社として、神の怒りを静める場所として、祭るのだ。
そうして後世に引き継いでいく。



原子による核融合をまだまだコントロールできるわけではない地球人。出来るのは、中性子の抑制のみで、核融合事態をコントロールする術は、人類は発見していない。
しかし始めてしまった核開発と核融合

世界への核による軍事的抑止効果もあったろう。
また、地方の経済発展の為にも政治家が飛びついたのが原子力政策だった。
そして、日本は、核を使用され、核に今でも脅えることになった。

これは、日本の八百万の神の怒りではないだろうか。

これは日本の神の啓示ではないだろうか。