隠れた差別



残念ながら人間は平等ではない。

機会も平等には与えられていない。

不幸な境遇に生まれて、不屈の精神で様々な障害を乗り越え、人生を成功させる美談は【万に一】の確立の話であって、努力して遅れたスタートを乗り越えて人生を勝ち取る話は、宝くじにあたるような確立の話である。
すなわち、ほとんどの例は、産まれた境遇や不平等な機会に苛まれ、思うような人生を獲得出来ずに人生の週末を迎える。

ゆういつ平等にお天道様に与えられていると思える【心技体】ですら、決して平等ではない。
体の不自由な産まれもあり、心に病みを抱える人も少なくはなく、そのような状況で技などという知恵はなかなか育たない。



だからこそ、この不平等な社会をなるべく平等にしていくために、法律による平等機会の整備や、社会保障、労働三法などが必要だった。



しかし一方、この国だけでなく世界のほとんどの国は、決して男女が平等に機会を与えられているわけではない。

女性は結婚を期に退職する事例が多いことを理由に、正社員としての登用をせず、とりわけ激務に相当する事務職を、契約社員として雇用し、安月給で雇い、固定費を上げない企業がどれほど多いことか。


雇用形態において法律を守っているとはいえ、いわば法の目を掻い潜り、倫理にもとる諸条件を並べ、実質的な男女差別を行なう企業が、中小企業のほとんどの実態であろう。



私は多くの境遇に大変恵まれてきた。

自分にあったアマチュアスポーツを見つけることができ、それを親が支援し、人格者のコーチと出会い人生を学び、才能を引き出してもらって日本の頂点を極め、社会に出てからも反面教師の上司が居た一方で、暖かい先輩社員との出会いを活かすことが出来、なにより優秀な部下達に恵まれて今に至る。

軌跡とも言えるような素晴らしい人々との出会いによって私は活かされ、そして自分の心技体を様々な成果として表し、自身の尊厳が守られてきた。

妻と子供たちとの出会いは私の人生に奥行きをつくり、愛と心の豊かさを学ぶ事ができた。

尊い出会いが私を作ってくれたのだ。





人生は勝ち取るものだとはいえ、圧倒的にスタートラインが後方にあり、協力者がほとんどいなかった幼年期を過ごし、経験を積上げる機会を得られず、人格者との出会いがなかった人もいる。

つまり、社会に出た段階で、経験から裏打ちされる人間力が劣っている状態でスタートする人もとても多いのが実際の社会である。
であるから企業は株主の所有ではなく、オーナー個人の所有でもなく、人事の所有でもない。

企業はそこに集う社員の所有でなければ、社会経済の恩恵を授かって利益活動をする権利はない。
人間社会で経済活動をする機会は、資本力によって勝ち取るものであってはならず、倫理の土壌の上にあって、機会を均等に与え、人間力を培う学びの機会を共に均等に、そして長い目で見ていかねば、経済活動を行なう権利があってはならないのが企業である。





本来、社員は自身の処遇を、その努力によって勝ち取るものであり、無能で無努力な人が集まって、つまらん月の金額の交渉のために、労働組合として経営側と交渉するなど、私はナンセンスだと思う。
しかし、このような人類の倫理の欠如、道徳心の限界を見ると、労働組合も必要かもしれないと思い始める。
金額云々の前に、不平等、差別が、潜在的に行なわれている、それが日本の実態だ。



ベアするから昇格はしないとか、何かと引き換えに、成長の機会を奪われる人事施策は愚かな行為だと思う。




企業の採用時期が違っただけで雇用形態や処遇に開きがあったり、能力を査定する基準が現場になく、【仕組み】という、非現実性によって決められるのも、企業が仕組みによって動いているという錯覚に囚われた人間の判断の成せる愚作である。
企業は人間によって動いている。そして人間には心があり、その心がどのように育ち広がるかによって、企業業績は動くのだから。




私は自分に一定の自信がある。

どのような機会であっても、知恵をしぼって方法を練り、時には猪突猛進、誰にも負けない行動力を示し、情熱を以って人と関わり事を成すだろう。
しかし私がそういう力を持つことができたのは、私の過去の人生において、奇跡とも呼べる出会いを繰り返して学ぶ事ができたことや、今でも多くの仲間に支えられ、助けられ、力を借りているからそういった理念を持つことができるのだ。

しかしそれは誰もが持てる機会ではない。





そう。。。。過去・・・・、私も自分が弱かったことで、指の間からこぼれ落ちていった大切な人や物があった。
人は強くなければ人を守れない。
誰かを守りたいと思ったなら、まず自分が強くあらねばならない。

しかしそのベクトルは、常に人間に均等に与えられているものではないのだ。だからこそ、社会と言う理念が興り、利益の再分配という考え方が生まれ、そもそもその為に国が存在している。
そしてだから、毎月多額の【税金】を収めている。

利益の再分配。。。。すなわち社会保障は、どのような経済活動であれ、金銭的にも倫理的にも、社会という人々の暮らす世界があってこその、その環境の中の活動で生まれた利益である。
だから一部は再分配し、【税】として国という媒体にて社会運用するのである。


給料と言う【金】だけでは図れない、【時間】と言う人生の【貴重な機会】を企業に捧げる社員は、本来誰もが平等でなければならないのでなないだろうか。

法律にギリギリ抵触しない就業規則など、法律の内容以前に、法律を生み出す【人類の倫理】【英知】を熟考して考えれば、取り浮かばないはずだと、私はそう思う。