後悔と反省の日々でございます。

このブログを始めたのには理由があった。

そもそもは、青春時代に私を水泳というステージと、大人への道を歩むという人生において大切な哲学を教えてくれて、そして辛抱強く育ててくれて、そして多大な影響を与えてくれて、そして費える事のない思い出を残してくれた恩師の米川先生との思い出を、物語のように文字に残し、当時関連していた多くの人やその周りにいた人々にも何かの良い影響にして欲しいと、長い付き合いの友人から言われたことがきっかけだった。

先輩や後輩ではあっても、この歳になるとすでに友人とも言える多くの人に、酒を酌み交わしながら語る師の思い出が、酒の勢いもあってか涙が出てきてとまらないほどのかけがえのない思い出であることを共有しているうちに、会話で時と共に消えていってしまう記憶とでしか残らないその事が、なんだかもったいないからと言ってくれて、文章に残して欲しいと言われたことがすべての始まりだった。



同時にまともに家庭など作る自信もなかった私が、妻に恵まれた事で多くの子供たちと家族となれたことに感謝しつつ、こんな私でもこんなふうに生きているよと発信できたらきっと、それを読みながら勇気付けられる人がいると、友人たちはそう言ってくれたことも、件の決断に至った経緯だった。



以前書いたが、時に私は、自分の口から出てくる言葉がまるでメディアとなり、天国にいる師匠の代わりとなって動いていると思えることがある。スラスラと出てくるその言葉は、自分が培った人生観だけではありえないほどの質や量であり、あきらかに師匠のメディアとなって師の言葉を代わりに口を使って伝えている、背中から師が語っているのを強く感じる事があるのだ。


そう、だからそれが趣旨だった。


プロのないアマチュアスポーツ一色で青春を費やし、多くを犠牲にしても、栄光を勝ち取る人がほんの一部でしかなく、そのほとんどの選手経験者は何が残るかと言えば、自分が誇れる思い出だけでしかない。
いや思い出だけでしかないとは言ったが、その思い出こそが栄光なのだ。

人は物語が必要だと思う。

そしてその物語がより自分の誇りとなって、過去、輝きながらがんばっていた自分が今の自分の横に立ち、苦しい時も悩める時も、そっと自分の肩に手を置いてくれることが、どんな人の優しい言葉よりも勇気付けられる。






しかしこのブログを書いているうちに、いつの間にか私は、自分のフラストレーションを自分の正当性の主張の基に文字にして、まるでそれが正義のように語り、マスターベーションを繰り返していた事に気付かされた。

もともとや人に役立てられたらいいなと思って書き始めた物が、いつのまにか読む人によっては傷つくかもしれない内容になっていた。

偏った倫理は時に圧倒的な説得力のように見えるが、時代や見方や観点を変えるだけですぐに崩れる、安直極まりない言葉となっていく。



多くの人のアドバイスも参考にして、ブログは閉鎖することはしないけれど、ネガティブな日記を書くよりも、一度立ち止まって考えて、ポジティブな物語を書けるようにしたら、今までの私の倫理だけではなく、昨日までの自分と違う考え方で成熟できるかもしれない。
大人になること、49歳になってもまだ未熟な私が大人になるために、また一歩学び進む事にしたいと思う。