実感

毎日。一日たりとも思い出さない日はない存在。

一日に何度も、あらゆる時に思い出す存在。

それが我が師、米川先生。




いつの日からか先生の事を、【米さん】と呼ぶようになった。

思えば水泳を引退し、米さんの興した会社に入社した時からだった。

入社当時私はまだ学生だった。

4年で卒業できず、7年間大学に在籍し、5年目6年目は休学した。

休学中、米さんの会社で仕事をしたが、今から思うとほとんど仕事の何たるかなんて、まったく身に付かなかった。
会社でしていた事は、米さんの話を聞くこと、私の話を聞いてもらうこと、そしてそれについて思いを語ってもらうこと。
そして、ラーメンと餃子を近くで一緒に食べること。
時々どこかについていくこと。。。。



大学在籍中、若輩者で幼かった私は、大学関係者の柵(しがらみ)や、本音と建前が別に存在する大人の世界に入る現実に耐え切れなかった。

だからそれで、就職を選ばず、米さんの元に戻ったのだろうと思う。

そばにいたら、きっと米さんが私を助けてくれると、そう思ったのだろうと思う。



現役中あれだけ、米さんから水泳馬鹿になってはいけないと指導受けたのに、私は結局当時、水泳バカだったのかもしれない。

社会に出て行く準備がまったく出来ていなかった。

社会の現実を受け入れる人間力を備えていなかった。

強がるだけで、自分では何も出来なかった。

そしてそんな私を、一番理解してくれ、そばに置いて、社会から守ってくれたのが米さんだった。




今の私は当時に比べれば考えられないほど強くなった。

もう完全に別の人間みたいに。

水泳とは何の関係もない仕事に就き、仕事に前向きに取り組んでいる。

多くの優秀な部下に恵まれ、果敢に生きている。


多くの現役時代の仲間が、引退当初から当然のように社会に出て行き、様々な紆余曲折を乗り越えて、立派な社会人になっていった時間、私はずっと米さんの背中の後ろに隠れ、社会の現実に脅えてガタガタと震えていた。


きっとそれを、米さんは、背中で全て見ていたのだと思う。

すべて見抜いていたのだと思う。

強がるだけで、実は情けなく弱い私を、何も言わずそっとそばに置いていてくれた。

世間知で、仕事も出来ない私を、いきなり会社の専務に向かえ、とっても甘やかしてくれた。

私はそんな米さんに、甘えて甘えて、甘えぬかせてもらった。

血のつながらない他人でしかない私を、本当に甘やかしてくれた。

今思えば、本当にやさしい時間だった。

あの頃が一番の、私と米さんの素敵な時間だった。






現役時代はあんなに恐ろしくて、怖くて、苦しいトレーニングをさせられ、厳しい練習をさせられたのに、引退後米さんのところに行くと、物凄く私を甘やかしてくれた。

焼肉が食べたいと言えば、苦しくて吐きそうになるまで肉を食べさせてくれ、寿司が食べたいと言えば、回転寿司は寿司じゃねえと言って、そこそこ高い寿司屋のカウンターで、『トロ。ウニ。アワビ。』
『トロ。ウニ。アワビ。』と、ふたりでなんども繰り返し、何事もなかったかのよう会計した。

ぜんぜんお金がなかったのに。。。。。




私はある日、そんな暖かい師匠のもとを、自分で勝手に離れる決意をした。

そこに至るまでの自分の葛藤は、まさに断腸の思いだったが、一方で、このままじゃいけないと、師の為にも、自分の為にも、もう離れなきゃいけないと。。。。。

うまくいえないけれど、離れなきゃいけないって事が、自分の予感にあった。


自分で人生を作らなければ、自分にも米さんにも、あまりにも申し訳ない気がして、このままじゃだめになる気がして。









そして何の運命か。

離れてまもなく、米さんは治らぬ病になった。

そして思ったよりもずっとあっという間にいなくなってしまった。

昔の仲間の師匠は、今でもみんな元気でいるのに。

なのにどうして先生だけ。。。。。

なんで死んじゃったのだろうと、そんな気持ちが、毎日。。。

今日この時、こうして書いている時でも、それが、それが一番悲しい。

それを思うと眠れない。



私は師を失った悲しみがきっと癒えていないのかもしれない。




どこかで死んでしまった事を信じきれていない。




一日に何度も、様々なシーンで思い出すのだから、存在がまったく私の中で死んでいない。

いやむしろ、かえって今の方が、米さんの事を、その理念の『メディア』として、私は遥かに当時よりも整理できている。

米さんの倫理や愛が、私の書棚にレポート用紙にいっぱいになって、どっさりとしまってある。

必要な時に、必要な内容を取り出せるような感じに。

あの人の心の中にあった、私たち教え子に伝えたかった【愛】について、それをより多くの人に伝えるメディアの役目を、私は負っている気がする。





嫌な事があった時も、
嫌な人に嫌な思いをさせられた時も、

悲しいことがあった時も、
悲しいことを言われた時も、

悔しい思いをした時も、
悔しさに負けそうになった時も、




何かに勝利して自信を取り戻した日も、
思い通りにならない現実に負けそうになる時も、

素敵な部下達の暖かい心に触れる日も、
信じる力で思いどおりに成しえた時も、

生きていて良かったような気がする時も、
こんな世界に生きていたくないと思ってしまう日も、




私は一日に何度も米さんを思い浮かべている。

そしてこう思う。





【米さんだったらどうするだろう】

【米さんだったらなんて言うだろう】




それについて考えることが、私の人生そのものを作っている糧ではないかと思う。

私の人格を形成する上での大切な糧。

米さんの、存在の見えない米さんの理念だけが、私の心の中で今も、生き続け、そして進化し続けている。

米さんは私の中で、さらに美しく生き続け、そして成長している。

その米さんの言葉が、私の喉を使って、私の声を利用して、あふれ出てくる。





私は米さんについて語るときが生きている実感がある。

私は米さんについて考える時が生きている実感がある。

私は米さんについて憧れる時が一番、生きている実感が湧く。