誰を怒っていいかわからなくなっちゃったじゃないか。

先日49歳になった。

これまで色んなことがあったと思う。

色んな出来事とその側でいろんな人との出会いもあった。

最近よく自分のクセや傾向について思い起こす。





私は過去の出会いで、関わった人から得た経験や、それらの人からかけられた言葉、その一瞬の言葉に触発され、その言葉を糧にして、この生き難い世の中を生きている。



私には亡くなった【師】がいるが、その師だけでなく、様々なシーンで私に言葉をかけた別の師も存在している。

その師とは、時に父であったり母であったりする。

友人でもあったり学校の先生であったり妻であったり義理の姉であったりする。

多くの大人たちの言葉によって思い出を深化させ、学び、そして私は大人になった。




【誰を怒ったらいいのかわからなくなっちゃったじゃないか】

高校3年生、卒業間近に迫ったある日の担任の先生の言葉だった。

宇田川先生。先生の言葉は私に影響を与えた。



高校時代、私はクラスで浮いていた。

毎日朝5時から朝練習して7時半まで泳ぎ、夜は5時から11時までウエイトトレーニングと水中トレーニングだった私は、学校がゆっくり眠れる場所だったから、クラスメイトとも会話する機会はほとんどなかった。

気を使って話しかけてくれるやつもいたが、心は開いていなかった。

となりの席の【武内りさ】は違った。

私が寝ている授業中は、私のノートをすべて書き写してくれていた。

起きている授業中は、小さな手紙でずっと会話していた。

人前ではほとんど会話する事がなかった間だったが、心は通じ合っていた。

過去の日記で書いた事があるが、竹男というクラスメイトが学校を休みすぎて、出席日数が足りなくなって、退学寸前の残り一日しかないある日、私はこっそりと武内りさと竹男の家に、授業を抜け出して向かった。

嫌がる竹男を説得し、なんとか学校に連れてきた廊下で、宇田川先生につかまった。



怒りの形相を浮かべる先生に、まちがいなくぶっ飛ばされると思った。

そして授業を抜け出した訳を聞かれたのだが、私は理由を言わなかった。

竹男を連れもどしたことを言えば、竹男の出席日数の事や、在学継続の件で何か悪い影響を与えてしまうかもしれない事を考えたからだった。


しかし、竹男本人がそこに現れ、

『先生、違うんですよ、こいつら、俺の出席日数があと一日しかない事を知って、俺を向かえにきてくれたんですよ、すみません』

と。

わなわなしながら怒りの矛先を探していた宇田川先生。

結局私の目をじっと見て言った一言。

『誰を怒っていいんだか、わからなくなっちゃったじゃないか!』

そう言って、プイッと踵を返し、職員室へ向かう先生の振り向きざまの瞳には、間違いなく涙が見えた。




あれから30年。

先日、その宇田川先生とクラスメイトと酒を飲んだ。

先生に会うと、私は必ずその話をする。

そして思い出して涙を流す先生。

当時は先生もまだ30歳くらいだった。

みんな若かったしまだまだ子供だったが、今でも鮮明に覚えているあの廊下での光景と物語。

そして私は先生にいつもこう言う。

『先生は教師として成功者ですね。』

「どうして?」

『だって、あれから30年経ってもまだ、こうして49歳にもなった大人の私に、こんな思い出を語らせて、そして先生の言葉を教訓にしているんですから。』

「何言ってんだ。それは住吉の感受性なんだ。俺じゃない。」

『いえ。先生のおかげです。私は高校3年生の時、本当に立派な包容力と理解力と指導力のある大人、教師に恵まれたんです。』

「・・・・・・。」

『それが先生、あなたなんですよ。』

ここで先生がうつむいて涙を流す。先生ももう還暦を過ぎたが、未だに子供のような感受性だと思うのだった。


いくら悪いことしたからって、いいことのする為の方法が間違っていたからって、怒り散らさなくても、長々言って聞かせなくても、相手がまだ高校3年の子供であっても、たった一言の言葉で、その後の長い人生に深い影響を与え、その後の多くの判断に寄与貢献している言葉があり、そんな素敵な言葉を生徒に一瞬で伝えられる大人はそうはいない。

能力があったのか、人格者なのか、ただ単に運がよかったのか、その答えはもう出ない。

しかしそれだけの事実だけは私の心の中に強く思い出として残ったのだ。

それだけで宇田川先生は教師として大成功した成功者なのだと思う。




ちなみにここで登場するとなりの席の【武内りさ】は、現在私の妻です。