49歳。四苦八苦の始まり。

先日49歳になった。

信じれん。自分がこの歳まで生きるとは。。。。。

結婚した事も、子供が生まれた事も、父親になった事も、サラリーマンを続けている事も、思えば全部信じれん。

20代の頃は、これらの全てが自分には不可能な事だと思っていた。

結婚したら相手を不幸にするだけだと。

子供が自分そっくりな性質だったら、とてもじゃないけど面倒見切れんと。

自分が父親になったら子供がきっと不幸になると。

サラリーマンを続けられる俺は地球上に存在しないだろうと。



本気で完全にそう思っていた。

が、49歳の今、まあまあそれをやっている。



なんてことだろうと思う自分と、なんて幸せな【これ】なんだと思う自分が両方共存している。



こうやって日記を書き始めた頃、子供が5人になって、なんて経費のかかる家庭なのだろうと、自分で子供を作っておきながら、自分で愚痴をこぼすという矛盾を謳う毎日を記録し始めて、それでも多くの方々に読んで頂いたり、暖かいコメント頂いたり、意地悪な馬鹿ちん野郎が無名で好き勝手書いてきたりと、色んなことがあったが、あの頃の経費かかるなあは、今と比べればまだまだ甘かった。


今、さらに経費かかる家庭になっている。


あの頃は、うちの子供がこんなに塾に行くとは思っていなかったし、長女が学費の高い音楽大学に行くとも思っていなかったし、次女が私立高校に進学するとも思っていなかった。

ドンクサでかわいい3女が、ハンドボール部に入るとも思わず、末っ子はもっとわがままで手の付けられないややこしい子に育つと思ったら、明るくて優しい子供に育った。
きっと兄弟たちのおかげだろう。



最近こうして文書にする事が減った。

理由は簡単。めんどくさいから。

昔は違った。

書かずにはいられず、気持ちを言葉に出来る場所が欲しかった。

必要だったのだ。



今はもう、どっちでも良くなった。


どっちでもいいやと思うのが、現在の自分である。


様々な事に興味が湧かない。


仕事や事業開発のことはよく考えるようになった。

仕事に興味がある。




以前の自分は仕事に興味などなかった。

興味ではなく、仕方なくやるものでしかなかった。
しかしどうせやるなら勝つしかないと。
負けるわけにはいかんと。

仕事は予算を達成し、周りに勝っていればそれでいいと。
どうせ雇われの処遇など痴れているからと。

しかし部下が増え、関わる人たちが増えていくにつれ、自分のことなどかまっていられずに、私の力で誰かを少しでも救えるならと、救うなどおこがましいと言われるだろうが、それでも救いたいと思い、自分が勝てる人間でなければ守れんと思って意外と努力していたのかもしれない。


そうしているうちに、関わってきた仲間がいたるところに転勤などで散らばり、自分の拠点だけの問題ではなくなってくるにつれ、会社の事業を領域拡大して、将来の夢のある事業にしていかないと、未来の彼らの道がなくなると考えるようになった。

そのあたりから、自分の感性や社会の実情とか、政治や倫理とか、少しづつ少しづつ、興味が薄くなってきている気がする。

事業を何とかしなければ。

領域を拡大し、構想を実現しなければと。


こんな事を思う自分を、昔の私はまったく想像していなかった。

もうすぐ死ぬのかなあ。

経費かかるなあ〜