平等と平準
平等と平準は違うと思うのだ。
日本人は特にここを間違える。
たとえば平等を謳う企業で、1人子供がいる家族と、2人の家族と3人の家族では、福利厚生は内容が違わなくてはおかしい。平等と謳うならだ。
だが、我社は平等の福利ではありませんよ、平準です。と言うのなら、子供が何人いようが、家族状況がどう違おうが、福利は同等で良いと言う事になる。
共産主義のように、働こうが怠けようが同じ権利が存在し、同じ処遇によって扱われる事を言うのではない。それは平等とは呼ばない。平準と呼ぶ。
平等と言うのは、条件によって内容は違うが、それぞれの条件に見合って、福利が整備されている事を言う。
ルール作りやシステム化ばかりに気をとられ、それらを構築した事で仕事した気になるのは、大いなる愚作となりえる。
大切な事は、より前に進む人に熱い福利や処遇が与えられる社会、会社となるよう、本質的な平等を極力実現する事だ。
そこを発見する事に労力を注力せず、簡単な平準化を目指した事で平等感を感じる人間は底が浅すぎると言う事だ。
税金がもし平準だったら、国民は一人当たり一律10万円とか、そんなふうに決められた一定額と言う事になる。
平等と言うのは税金の場合、金をより多く稼ぐ事ができたのは、この社会の中において環境を謳歌できたからであり、その富や利益の再分配は、稼いだ額によって利率変化や、金額の変化で賄い、それで平等性を担保している。
会社の福利においても、家族の多い社員には福利が手厚くなければならない。
平等を謳う企業ならだ。
我社は平等ではありませんと言うのなら、福利も一定でよかろう。
そこ、間違えてる人ってかなり多いよなあ。