受験

長女が受験だ。

昨日の日曜日、私立の入試テストだった。

朝から待ち合わせの友達と上手く会えず、バタバタドキドキの出発。
電車で行く予定だったが、結局妻が車で送る事に・・・。
実際は電車より早くついたものの、待ち合わせで会えなかった友達が、
無事着いてるのかわからないまま、違う教室での入試となったらしい。
普段慣れないことをやると、やっぱりトラブルんだなあと。

気持ちを切りかえ、本人は何とか無事受けてきた。
(あまり自信はないようだが・・・)

帰りは自分で電車で帰るからと言うので、時間を見計らって、
妻とウオーキングに出た。
ジャストなタイミングで、駅からトボトボ歩いてくる娘を発見。
というより、遠くで手を振るセーラー服の女の子を見つけ、妻が即座に
気がついたのだが。
近づくと、菓子パンもぐもぐ食べながら歩く中学生に笑ってしまった。

「どう?テストできたのぉ〜?」と妻が聞くと、

「う〜ん、わかんない〜」とつれない返事。

「それじゃあ、こまるじゃない〜」と妻。

「まあ、どこだって行ければいいよ。」と私。

オヤジだって決して子供の進路に不安がないわけじゃない。けど、
いざとなったら、結局オヤジがなんとかしてやんなきゃならん。
てな気持ちで、ちょっとかっこつけてみせた。
3人で家までの帰り道、「コメダ珈琲」に寄って、娘に遅い昼食を
取らせた。おいしそうに食べる娘を見ながら、(かわいそうだなあ〜)
なんて気持ちになった。

確かに社会が仕事にせよ、何にせよ、人選判断をする時には、一定の
学力などをその判断基準にせざるを得ないのもわかる。
しかし、現在の社会、世界を見渡す時、過去に多くの哲学者が苦しんだ、
人間の尊厳、倫理観、道徳心を、どのように成長させ、人類の進化に
染み込ませていくべきなのだろう。

リバタリアンと呼ばれる、自由市場原理主義のような考えもまだまだ
アングロサクソンの文化には根強く存在する。

カントは物事の帰結から道徳倫理を見出す事は出来ないと言った。
そのプロセスにこそ、道徳への道筋が見えるのだと。

彼女が、彼女の世界観で、この受験というしょーもない人間の文化を
どのように受け入れ、歩み、帰結させてゆくか、穏やかに見守ろう。

しかし問題なのは、塾の費用なんだよな〜。
毎月5万円の受講料。
5万円でっせ!どんな塾やねん!と言いたくなる。
よっぽど塾の講師に、聞きたかった。
「5万も毎月なん!!?こりゃ、東大行けますよね〜?うちの子!」
多分、灯台の方くらいだな〜。行けるの。

4月からは長男もいよいよ塾に。中学になるからだ。私の住む奈良は、
塾に行くのは当たり前状態らしい。

んで、また毎月5万ですか・・・。  経費かかるなあ〜。