君達のおかげで私がいる

土曜日、久しぶりに浜松に行った。
仕事で打ち合わせする事が出来たので行く事になったのだが、せっかくなので部下の家に泊まらせてもらい、苦楽を共にした部下達と、いつもの店で閉店時間まで呑んで騒いだ。離れてから1年半の時が経ったが、まったく久しぶりと言う感覚がない。昨日も、おとといも、一緒に過ごしていたような感覚だった。
しかし浜松は今年、静岡と合併する為閉鎖となる。通勤できない女性社員は退職するしか道がない。100キロ近く離れた場所に、子供がいる女性社員が通勤できるわけがない。思えば過去、私が責任者として勤務している当時も、何度か合併や閉鎖の案が浮上したことがあった。理由は割愛するが、その度に私は肝を冷やし、必死に回避する策を練った。理論武装と、精神論と、現場の情熱で、その議論を吹き飛ばしてきたのだ。しかし、すべての状況が変った今、もし私があそこにいても、もうそれは不可能だったろう。残念だがそれが会社と言う物かもしれない。一番悔しいのは、今まで力を貸してくれてきた、女性社員のことだ。安い給料でこき使われ、家庭に迷惑をかける残業を繰り返し、給料制度が変わって残業代も消え、休日出勤まで残業カウントにされてしまい、ボーナスが激減しても、それでもずっとついて来てくれたのに。久しぶりに彼女達の顔を見て、それを思うと、胸が引きちぎられるような気持ちになった。


会社はいつも正しいとは限らない。時には正義とはいえない判断をすることもある。経営判断における会社の正当性があれば、社会における正義など、無視するのが世の中の大抵の会社の現実だ。それを抜本的に変える力は、サラリーマンにはない。労働組合もない会社ならなおさらだ。彼女達はみんな、子供がいて、ご主人がいて、家庭を支える母親でもあり妻でもあり、稼ぎ頭でもある。これからの再就職がとても心配だ。部下に、再就職を支援するよう指示してあるが、次の職場はどんな環境だろうか・・・。考えるとつらい。どうか乗り越えてほしい。少なくともある一時、一緒に働いて過ごし、お互いを守りあい、助け合って、励ましあって、我社のどの拠点よりも良い仕事をしていると、経営者にも、社長にも評価をされた拠点だったという思い出を、誇りを以って生きてほしい。

私は生きている限り、いつでも会えるよ。少し遠くでも、会いに来て。決断に迷う事があればおいで。生きる上でわからない事があれば、全部納得できるように説明してあげるから。
私は自分の事はダメな男です。
けど、部下や教え子の為になら、最高の指導をしてあげられる特殊な能力があります。そういう能力を、死んだ恩師に叩き込まれています。
いつでも私がいるって思っていい。不安も、悩みも、抱えたらその時、住吉がいるからいつでも相談すればいいと、そう思っていいから。