最後のインカレ

大学4年のインカレは、私にとって最後のインカレであり、水泳部のコーチとして、思い責任を抱えたインカレだった。特に長距離選手には、自分の出身種目という事もあって、私の指導内容が間違えていなかったかが示される大会であり、総合優勝を勝ち取り「天皇杯」を取り戻す為の、学生時代4年間の集大成だった。
この大会で私は、いくつか間違いを犯した。男子800mリレーの予選に、わが弟の信彦を選抜しなかった。好タイムで泳げる力があった彼を使わなかった。私は兄弟である事を贔屓に取られるのを恐れ、当時3年生だったある選手をレースに使ったのだ。本当は信彦を出したかった。勝つ為には、ここぞという場面で、確実な力をだす強い精神力を持った選手が必要だ。信彦にはその強い精神がある。私は、彼が私の兄弟であるからこそわかる、彼の強さを知っていた。しかし、その3年生が、ぜったいに1分55秒台で泳いで見せますからと言って、同じ学年の数人と一緒に、私に懇願してきた。私は自分の本当の気持ちとは裏腹に、彼を信用してしまった。信彦はまだ1年生だ。来年もチャンスがあるかもしれない。しかし、その3年生は、来年は間違いなく選抜されないだろう。より強い1年生が入学してくるからだ。
彼は、800mリレーの第一泳者を泳ぎ、ボロボロだった。約束した1分55秒台どころか、2分2秒かかり、200mで7秒近く遅れた。そのまま800mリレーは大失態となった。その場だけの雰囲気で、かっこつけてきたその選手は、トレーニングも十分ではなく、選ぶ理由などどこにもなかった。彼は同学年の仲間を味方につけ、さらに私の学年の先輩らも数人味方につけて、私に涙を流して懇願してきた。
本当だったら、本来の自分だったら、そんなの相手にしなかった。自分のコーチとしての判断力を信じられたはずだった。もう気持ちがうつむいていたのかもしれない。判断に情けが入ってしまったその時の私は、もう、コーチとしてまったくダメな男になっていたのだと思う。言い訳をすれば、判断をゆがめたその理由は、少し前に行われた、男子1500mの決勝にあった。
男子1500mの決勝出場選手には、ジョージというあだ名の、昔から仲の良かった後輩がいた。私は、出場選手の力量から判断し、彼は3位入賞の可能性があることを知っていた。しかし、大バケする可能性だってある。ジョージは昔からそういうところがあった。しかし、1500mという競技は、日頃のトレーニングが、そのまま現れる競技だ。ここは順当に3位入賞してくれることを心で祈っていた。
レースは順調に展開し、ジョージは3位に付けている。4位との差もまずまずで、このまま逃げ切ってくれればそれで十分だった。総合得点の予測も、ジョージを3位に予定していた。
第2位を泳ぐ選手は、中央大学の耳の不自由な選手だった。1400mのターンで、彼はゴールと間違えてタッチしてしまい、足は付いていないものの、1500mをゴールしたと思い込んでいる。
間違えて止まってしまった選手を見て、コース上にいる、係員が、必死にラスト100mの知らせである、鐘を鳴らす。しかし、耳の不自由なその選手は鐘の音が聞こえない。係員は「行け!行け!」というジェスチャーと共に必死に話しかけているが、彼は気付かない。
その時、ジョージが1400mのターンをした。耳の不自由なその彼は、ジョージがターンして行く姿を見て、間違えた事に気付き、慌ててタッチ版を蹴って再スタートした。
大学のスタンドの陣地の一番上に座っていた私は、その光景を見て、全身の力が抜けていた。
耳の不自由な選手が1400mで間違えて止まってしまっている所に、ジョージがターンして抜いて行く。それを見て、水泳部の応援団が、万歳して、飛び上がって喜んでいる。私の一段下にいたある別競技の女性コーチまでが、その選手の不幸を、ジャンプしながら、手を叩いて喜んでいる。

結果、ジョージは2位でゴールした。そして、耳の不自由な選手は、3位になってしまった。もちろんジョージには何の罪もない。ジョージは、インカレという物凄いプレッシャーのレースで、見事に大ベストで泳ぎきった。実に見事なレースだった。彼には今でも感謝の気持ちを持っている。

しかし、私は、そのレースを境に、水泳という競技がどんどん嫌いになった。
それは若気の至りでもあったと思う。
まだ私はアマちゃんで、世間知らずだったのだろう。あるいは、そのような現実を受け入れる、人間力がなかったのかもしれない。
私はどうしても許せなかった。障害のある選手が、間違えて1400で止まってしまった、そのシーンを見て、手を叩き、ジャンプし、おおはしゃぎで喜ぶ学生達と、ある女性コーチ。
ジョージの快泳が、霞んでしまう・・・・。
私はそのシーンを、今でも、凄くリアルに覚えている。スローモーションで、目の前で万歳して喜ぶ女性コーチの姿を。そのコーチの背中を蹴り飛ばしたい衝動も、すべてそのままに覚えている。
もう水泳なんか関わるのをやめよう・・・・。そう思った。
疲れていたのかもしれない。1年間、天皇杯の奪還の為に、学生でコーチを務める事にも、きっと疲れていたのだろう。批判や非難と戦い、選手を勝たせる為だけに4年を過ごした。せっかくやり通して、喜びを分かち合える日が目の前だったのに・・・。

しかし、どうしても許せなかった。誰に・・・というわけじゃない。自分の運勢を呪った。
仕方なかったのかもしれない。学生もみんな悪気じゃなかったはずだ。それは分かっている。みんなその後に、反省していたから。
しかし、私は違ったんだ。その瞬間に、あってはならないレースの事故を、一人呆然として、目の前で見ていたのだ。そして、目の前で、障害のある選手の母校である大学陣営に向かって、拳を振り上げて挑発的に喜ぶ本校の学生達を。そして、女性コーチを。完全に、本当に全身の力が抜けた瞬間だった。応援が止まり、愕然とする隣の大学水泳部員・・・。喜ぶ我校の学生の方を見て、泣きそうになっている、その選手の母校の生徒達・・・・。
それぞれの選手の今までの努力が、それぞれ違う形であれ、台無しになってしまったその出来事。

その出来事を境に、水泳部のコーチを辞めた。

読者の方からすれば、まるで私のマスターベーションのように読めると思う。
それも事実かもしれない。決して否定できない。
あの時の判断は、まさに若気の至りでもあったと思う。世間知らずだったのかもしれない。出来もしない理想主義者だったかもしれない。
昔を思い起こすと、俺はアホだなあと思う。今でも。
その後、ボブの失格事件があって、完全に違う世界に生きる決意をした。
ややこしい話だ。自分で書いていて思うけど。
けれど、ややこしく遠回りな時間だったかもしれないが、最近また、心から競泳を応援できるようになった。昔のように、選手を育てる夢を、応援できるようになった。
そしてその選択のおかげでもあり、これまでに私は、最愛の妻と出会い、5人の子供に恵まれ、中途入社サラリーマンでどん底から這い上がり、愛する家族に支えられ、また、水泳が好きだった頃の自分が帰ってきた。
遠回りに見えて、実はすべてこの道を歩く為の、最短距離だった気がする。

昨日我が家は、昼からたこ焼きパーティー。夕方から鉄板焼きでした。
たこ焼きは、450円くらいのタコを4つ。なるべく小さく切って、それでも足りないくらい。子供達が焼きたくてしょうがないから、たくさん失敗したけど、全部私が平らげました。経費かかるから、日曜だけど家で食事することにしたのに、たこ焼きと鉄板で、またしても2万円の買いもの。
しかし、どうやっても経費かかるなあ〜