0コンマ55秒

「水泳のオリンピック選考って、マラソンみたいに不透明感がなくってさっぱりしていていいよな!」

会社の役員の方が先日そう言った。



なるほど確かに・・・・・。



最近アマチュアスポーツに昔みたいに関心がないので、マラソンの選考のどこが不透明なのか、さっぱりわからんのだが、選考の不透明感という意味自体は物凄く分かる。
最近、ほんの少しだけ、水泳関係者の方々との交流が、ほんの、ほん〜〜〜の少しだけあるので言いにくくなっちゃったんだけど、(先日も好き放題にFacebookで言ったら先輩に叱られた)昔の日本水泳連盟の選考方法は、不透明の極地と謎だらけ選考のオンパレードだった。

いや、厳密に言うと、本当に強いトップレベルの選手はまったく選考に問題はない。
しかし、ギリギリの所にいる選手の選考が、物凄い不透明だった事もあるのだ。


たとえば。


私自身も経験したが、ある選考会で優勝したにも関わらず、2位と3位が海外遠征に選考されたのだが、その理由は、2位と3位の選手は水泳界の内々ではわかっていた事だが、業界内で知名度と強い勢力の団体組織の選手だったから。なんて事があった。


そういう暗い過去の水泳連盟の歴史から考えれば、現在の選考基準は実に分かりやすく、そして厳しい中にもその選考方法に行き着いた「意味」を感じることができる。
紛れもなく、日本の競泳界における、記録の飛躍的な成長と、そこに関わるコーチのレベルアップ、そして全体の成熟による帰結であろうと思う。


しかし、なんというか、本当に残念なレースがあった。

男子1500m自由形

私の恩師の亡き、米川先生とも友人の田中先生が指導する、(たぶん間違いはないと思うが)鹿屋体育大学には、1500mで日本で初めて15分の壁を破った宮本陽輔選手と、同じく1500mで山本耕平選手がいる。ちなみに、田中先生は、長距離選手の育成において日本一だと思う。

オリンピックの派遣標準は、15分00秒58。
トップは山本選手で15分01秒13。
なんと1500mで、『0秒55』1秒の半分が切れなくて選考されなかった。
15分を初めて切った日本記録保持者の宮本選手は、きっとテンションテーパーが合わなかったのだろう。15分17秒71に終わってしまった。


1500mで0.55なんて!15分のうちの10分の5秒!
おっし〜〜〜〜〜い!
なんということだ〜〜〜〜〜。
まだ世界とは23秒くらい差があるのだが、1500mの場合、伸び盛りの選手がタイミング掴むと、一気に世界記録保持者についていって、メダルに絡むかもしれないのに〜〜〜〜〜!!!!!

引退してから水泳界の歴史を知らないからいい加減な事はいえないが、長距離だけでも再考することはできないものか・・・・・。
1500と言う競技は、長距離だから大雑把に思えるかもしれないが、ブレストなどとも比較しても劣らないほどのデリケートな競技なのだ。
自由形の短距離は一番修正が効く種目。(に思える)
あっという間に終わるので、順位には影響が出ても、記録の影響は少ない。距離が短いからだ。
しかし、1500は、50mだと30回、100mだと15回と、50mのラップで0.5秒でも狂うと、1500では15秒遅れてしまう事になり、順位はもちろん、タイムでも物凄い影響となる。
さらに、長距離であるがゆえに、コンディションが大きく影響し、少しの不調で大きな悪影響が出る種目なのだ。



なんの種目であろうと、条件は同じって言う人がほとんだとは思うけど、私はちょっとそうは思わない。1500は同じ競泳の中でも、再考してもいいと思う。
もしくは、『標準記録のコンマ○○秒以内×距離』みたいに、再チャレンジの基準を設け、その機会を設けてくれないかなあと思う。
それから、標準記録を突破した選手は、選考会上位2位以内に限らず、3位でも4位でも、その年のオリンピックは、全員選考すればいいのに・・・・・。
オリンピックって、一国に2人までしかエントリーできないんだっけ?
陸上などでは、男子100m走に、アメリカの選手が3人出ていたりするんだが・・・・。
水泳はどうなのかなあ。



でも素晴らしい。
マチュアの世界は、上を目指す選手と人生をかけて指導するコーチが一番美しい。選手育成と、競泳競技を極める道は、まるで麻薬のように心を水に染める。
そして、テレビで競泳を見ると、いつも深くわが師を思い出す。
そして私が居たチームを思う。


思い出はいつも美しい。


わが息子も、圧倒的にレベルは違えど、少しづつ強くなっているようだ。今年の夏の中学校の大会では、全体では歯が立たなくても、組ではトップで入れたりして、本人、鼻高々になれるかもね。



毎日選手クラスで練習する事になって6ヶ月が経った息子。
彼をを見ていると、本当に素朴に思う事がある。
自分みたいなアホな族が、なぜあれほど強くなれたのだろう。
それはやっぱり恩師のおかげなんだと痛切に思う。
息子の方がよっぽど私の子供の頃より素直でいい子なのに、私ほどの急速な伸びは見られない。
私の子供の頃と、現在の息子。環境の違いという問題もあるだろうけど、私はつくづく間違いなく『師』に恵まれたのだと思う。
米さんのおかげで、本当なら私のような者には見ることのできない世界を見られた。
若い頃は自分は何でも出来ると思っていたし、超ナルシストだったと思う。でも実は私なんか、米さんに水泳を教わっていなかったら、まったくたいした選手になっていなかったのではないだろうか。




私が水泳を引退した頃、お袋がほろ酔い加減でよく言っていた話がある。
「あんたはね〜、小さい頃からよその子とは違っただよ〜。なんだってできちゃっただから〜。何やったって、誰よりもできただで〜!?」
お袋は私を天才的な人間だと思っている。
ちょっと努力すれば、人より成果を出し、少しがんばれば、なんだって出来るようになってしまう人間だと思っている。
3年位前にも、ある裁判に関する書類を、弁護士いらずと言わんばかりに私にやらせた。数百ページにわたる文書を作らされた。

私は小さい頃から音楽が得意で、何もないところで、ドレミファソラシドを、正規の音階で歌えた。音楽の先生に、「絶対音感」があるね!と言われ、合唱団に入れさせられた。
ピアノやギター、楽器も得意で、勝手に作曲して、鼻歌を歌ったりしていた。

水泳を習う前、幼稚園の年少の頃に、親父と行ったプールで、親父の平泳ぎを見よう見まねで真似してしまい、ザブンと飛び込んで、そのまま25mをスイスイと泳ぎきってしまった。プールが初めての経験だったのに。
喘息系の問題もあったが、それがきっかけでスイミングスクールに通うことになったのだ。
ラソン大会でもいつも一番だった。二番との差があまりにも開きすぎて、見えないほどの距離があったほどだ。


「あんたはね〜、何やったってできるだよ〜。勉強だって運動だって音楽だって。できるだからできる子ができない子を面倒見てやるさあ〜〜。」
お袋はそう言って、今でも何か本当に困ると、全部私に頼みにくる。もう親父には頼らず、私に言ってくる。



私の子供の頃の話になると、「あんたは米川先生にそそのかされて、水泳なんかやっていなければ、音楽家の道に進んだだろうにねえ〜〜。」
そう言って平気でわが師を批判する。
お袋だって、私が水泳の試合でいつも優勝したりして、どんどん強くなって、全国大会や日本選手権や、国体に応援に来て、半分旅行と混ぜて観戦して、そりゃあ、鼻高々になって、
「すみよしさんちの賢ちゃんはいいわね〜〜」
なんて言われて、散々いい気分になっていたのに。近所の人たちから羨ましがられ、自慢の息子で。
高校も大学も、特待生で授業料も入学金も免除。
そんな親孝行な息子もそうは居まい。



お袋の気持ちは分からないでもないが。



ただ私は、自分がお袋が言うような、出来る子供だったとは思えない。
環境が良かっただけなのではないか。
お袋の教育の仕方が良かったのだ。
水泳のコーチが米川先生だから良かったのだ。
スイミングの先輩が早い選手だったから、目標が分かりやすくて良かったのだ。
仲間たちも米さんのおかげで見る見るうちに強い選手に育ち、それに触発刺激されたのが良かったのだ。
思えば、水泳界の様々な友人や先輩、みんなが私の刺激となり、大いに触発され、人という環境が最高だったのだ。


米川先生と出会ったことが、私の水泳のすべてだったのだ。
そしてその水泳をきっかけにして、今の私がある。


息子に精神的な負担をかけたくないからと、彼の水泳に口出しをしないようにしている。
でもその裏で、私の心は彼の水泳の成功を祈っている。
どんな大会でもいいから強くなって優勝するところを見てみたい。
全国大会に出場する息子を応援する為になら、会社をクビになってでも応援に行きたい。
日本選手権なんかに出れるような選手になってくれたらどんなに爽快か。
ましてや、そのような舞台で日本一に輝いたりしたら、その場で死んでもいいくらいの気分だろう。



0.55秒で涙を流す選手もいれば、4年に一度のオリンピックの時には、常に最高のコンディションを作り、2大会連続2冠に輝く選手もいる。
水泳は素晴らしい。そして冷酷だ。