聖職

人生には遠回りなんてない。
私はそう思っているし、師匠にもそう教わってきた。一見遠回りに見えることがあっても、それは必要な道だから自分の目の前に現れ、その道を歩む事になったのだと。
しかし、先日、故、藤原勝教さんの訃報を聞き、お通夜に駆けつけた時、そして、その後、盟友の不破央さんと一晩語り明かした事で、ふと思ってしまう事がある。
私は本当は、競泳の指導者でありたかった。選手育成の道を歩みたかったのではなかったか・・・・・。
そんな気持ちが芽生える。



そりゃあ、仕事でいえばもっともだ。
今の職業は、なりたくてなった職ではない。家庭を作っていく為に、30歳まで恩師と共に、やりたい生き方で好きに生き、夢破れて社会復帰を目指した結果、一度しっかりサラリーマンで出直そうと思った末の帰結だったのだから。



私は日本大学水泳部のコーチを経験し、その後、恩師のもとで、豊橋のスイミングスクールで選手育成に関わってきた。
私の夢は、競泳の「虎の穴」を作る事であり、その施設で、世界チャンピオンを輩出する事だった。恩師である「米川先生」との夢だった。
夢に敗れた事はいい。もう総括している。恩師の死と、守るべきもののおかげで、NASの一時代を作り上げ、共に過ごした恩師との夢から脱却する事が出来た。




指導者の職は、「聖職」だ。
だからこそその職にかかわる者は、自己研鑽と貢献意識を以ってこそ、初めてその資格を有すると言える。
同時にマネジメントに対する能力が問われる。マネジメントに必要な要素は、簡潔に言えば真摯な姿勢だろう。
これは本気で仕事をする上で必ず問われる資質であるし、いわばスポーツの指導者であっても、同じなのだと思う。




私が水泳の指導から離れた理由は、過去のブログで何度が話してきた。確かに学生だったあの頃の私は、自分にも甘かっただろうし、世間知らずだっただろうと思う。
インカレで耳の不自由な1500mの選手が、1400mのターンで間違えて止まってしまった。役員が必死でラストの鐘を鳴らすが、耳の不自由な選手は聞こえない。その間に、我がチームの選手が追い抜いた。
追い抜いた我がチームの選手は、私が手塩にかけ、心を込め、情熱を注いだ選手だ。大ベストだった。よくやった。
しかし、1400mで間違えて止まった耳の悪い選手の事は、我がチームは全員知っていたし、その選手は、インカレで、総合を争う、ライバル大学だった。
その選手が1400mで止まってしまった横で、我がチームの選手がそれを抜いた時、我がチームの選手は、一斉にジャンプして手を叩いて、大喜びで、はしゃいだ。
さらに、私の目の前にいたシンクロのKコーチまでもが、指導者の立場でありながら、おもそうなお尻をゆらし、ジャンプして、手を叩いて、キャアキャアと黄色い声を出して喜んでいた。
ライバルチームの選手達は、応援するのをやめ、目に涙を浮かべて、我々のチームの、喜び血迷う学生達を見つめ、恨めしいというような眼差しでこちらを見ていた。



そのシーンは当時の私にとって、何もかも失ったに等しい衝撃だった。大学の4年間も、インカレへの努力も、天皇杯への執着をもすべて消えてしまった瞬間であった。
その時、このチームでコーチを続ける事は出来ないと思った。それがひとつ。



日本大学水泳部には、「本物の男」たちがたくさん居る。みな素敵な仲間だ。本当に最高の選手であり、心の美しい生徒ばかりだ。
しかし、時々信じられないほどの嘘つきが居る。
800mリレーの予選であっても、インカレのメンバーに選ばれる事は、選手にとっての大いなる栄光である。
その栄光が欲しいがために、200mを当時で、1分55秒で泳いで見せます!といい続けた詐欺師もいた。
そして100名に渡る学生を騙し、コーチである私も騙した。
騙された私がバカだった。
しかし、私は分かっていた。彼に出来るはずがない。そもそもそんな練習をこなしていない。肘が痛い、肩が痛いと、ろくに泳ぎもしないやつが、レースに出たところで何が出来るというのだ。
もともと日本のトップであったならいざ知らず、二流の域を出た事のない人間だったのだから。
過去の体力的技術的貯金もないただの人だ。
しかし、インカレというのはチームの全員が、一種のトランス状態とも言えるほど、仲間を信じ込み、互いの能力と情熱に陶酔し、まるで精神の一体化がおきるが如く、互いを信じあう状態になるものだ。チームの最高の団結状態に近づき、ひとつの固まりになる。
そんな時は、誰かのウソなど、見破れない。
詐欺師のような選手がいても、なんだかできちゃうような気になってくるのかもしれない。
私以外の全員が騙された。
その詐欺師は、同じ学年の仲間と、4年生のマネージャーまで使って、私に泣きながら訴えてきた。
「僕を800mリレーの予選に出させてください。絶対に、1分55秒で泳いで見せます!」
泣きながらそう言うのだ。
周りのお人好しも、「けんいち・・・、なんとか彼を出してやってくれよ・・・・。」


私はバカだった。
分かっていたのに、詐欺師本人ではなく、その周りの懇願者の気持ちに情に打たれ、確実に力のある自分の弟である「住吉信彦」を選ばずに、練習もしない詐欺師を予選に選抜してしまったのだ。



結果、その人物の記録は2分2秒だった。
1分55秒で泳ぎきると言い切って、泣いて泣いて懇願してきたやつが、たった200mで7秒の遅い鈍記録で来たのだ。
ある意味、私が分かっていた通りの記録だった。
私のところにあの時、あいつと一緒に懇願に来た仲間たちに、あの時、あの結果を見てどう思ったのか、聞いてみたい。
そして、さらに日本大学水泳部のコーチをやりたくなくなった。それがふたつめ。



最後は、ボブのバルセロナオリンピックの失格レース。
水泳連盟の役員を務めていた審判の、故意のフライングとする判断により、ボブは2度目のオリンピックでメダリストになる夢を打ち砕かれた。
どれだけの犠牲を払って生きてきたと思うのだ。フライングを故意と判断するなど、どれだけおこがましくなれば、そんな判断が出来るというのだ・・・・。
当初はその審判を恨みに恨んだ。
しかし、審判を恨むという気持ち、それはお門違いだったとは思う。だがそれは今だからそう思えるのだ。当時は恨みでしかなかった。
そして言える事は、やっぱり水泳なんか、汚れた汚い嘘つきな人ばかりの世界だ、もう辞めよう・・・。そんな風に考えてしまった私が居たのだ。それがみっつめ。




読んで頂いた方はお分かりになるだろう。
もちろん私が甘く、身勝手な感受性で、乱暴な論理によって勝手に消え去っただけの話ではある。
しかし、事実私は、そういう世間知らずで甘ちゃんで、変なロマンチストみたいな、ややこしい性格な男だったのだ。
いうたら、水泳界のためには、あの時私みたいな者がいなくなった事は良かったことだったのだろうと思う。
だから現在の日本水泳界は目覚しい発展を遂げたのだと思う。



でも、本当に選手育成という職は、大いなる夢がある職だと思う。
最近では、水泳に関わるすべての人が、美しく、輝いて見える。
私はそれだけあの後、世間の荒波と、冷たい社会の汚れに染まったのだろうと思う。
だからきっと、アマチュアスポーツに関わる人々の世界が、これほど美しく見えるのだろう。
汚れた自分が情けない。
あんな風に、同じ目標に向かって、栄光を追いかける日々を送る人々が羨ましいと思う。
みんなが綺麗だ。



かくなる上は我が家の長男君。彼の得意な平泳ぎで、世界選手権入賞者の不破央さんと、ソウルオリンピアの長畑弘伸さんのスーパースター二人から絶大なる応援を受け、トゥリトゥネスのタオルまでもらい、実はそんじょそこらの子供じゃ体験できないような、水泳選手としては最高にいい経験をしているのに、本人はその「意味」が全然わかってねえ〜〜〜〜。
夏には、シドニーオリンピック銅メダリストの中尾美樹さんまで遊びに来てくれて、記念品までもらったのに・・・・・。
彼の関心は現在、「ⅠPodタッチ」しかない。
お年玉で買っていい??と聞くから、まあ、中学にでもなると、欲しい物のひとつやふたつ、自分のお年玉でなら買わせてやるかと、ミドリ電気へ。本人のお年玉は今年、15,000円。
そして・・・・、

8ギガ  15,000円。
32ギガ 25,000円。

店員:「いやあ〜お客さん、8ギガじゃ、全然使えませんよ〜。容量すぐにいっぱいになっちゃいますから〜〜・・・。」


(・・・・・・・。)


で、何?

「ぼく、32ギガが欲しい・・・。」

「はあ。んで???  買えないじゃん。」

「・・・・・・。」
うつむく長男。


私の子供の頃は、こんな時、身をよじって、買って買ってとわがまま言ったもんだ。それに比べて気弱なやさしい長男。だまってうつむいて、1万円私に出して欲しいと、そう言えないのだ。


「ほらよっ!」
そう言って、私の、なけなしの小遣いから1万円札を握らせた。
強太郎クン、きびすをかえして身を翻し、レジへ一直線!
25,000円で買ってきやがった。

昔、公園にゲーム機のPSPを忘れ、無くしてしまったことを思い出されますなあ強太郎クン。あのPSPは、28,000円だったのだよ。君はあの頃はまだ、お金のありがたみも大切さも、小さすぎてわかっていなかっただろうけど、今なら分かるよね・・・。それなら結構。結構毛だらけ!猫灰だらけ!と。大事にしてくれるでしょう!



かくして私お小遣い、1万円消えました。2回飲みに行くのを我慢っするか。


経費かかるなあ〜〜〜〜〜