ナガタリュウジ

恩師の米さんがまだまだ25歳くらいで、私が小学生だった当時、色んな地方の水泳の大会で、ようやくトップレベルになり始めた頃、スイミングライフという、水泳選手やコーチの為にあるような、月刊誌があった。
その当時は、メルボルンオリンピックだったか、平泳ぎの金メダリストの田口さんなどの特集が組まれていたり、インタビューなどがあった記憶があるが、小学生の私が密かに一番興味があったのは、年齢別の日本ランキングだった。自分の得意な種目だった、クロール(フリースタイル)の、50mや100m、200mなど、今の日本で自分が何番くらいの選手なのか、それがとても気になった。
最初は10位にも入っていなかった。一つ上の年代には、「水谷吉一」さんという、たしか西宮ピープルの選手がいて、もう誰もまったくかなわない選手がいたが、時期がうまくずれると、私の歳だけのランキングになる。ジュニアのランキングは、9歳〜10歳とか、11歳〜12歳というように、2学年を一緒にランキングされていたからだ。
ようやく日本でもトップレベルになれたんじゃないかという時、いつもクロールでも、背泳ぎでも、出てくる名前があり、ほんの少しだけ私より速い記録の選手がいた。200mなどは私の方がベストタイムが明らかに速いのだが、私はランキングに入っていない。あとでわかった話しだが、私の小学校時代には、米さん率いる我々チームは、あまり日本水泳連盟公認の大会には出ていなかったらしい。
しかし、いつもランキングにトップで出てくる名前。

「ナガタリュウジ」
「ナガタリュウジ」
「ナガタリュウジ・・・・・」

こいつは誰なんだろう?
どんなやつなんだろう・・・・。でもそんなにタイムは変わらない。勝てるんじゃないか?でも、どうして試合に出てこないんだ。いや、神奈川県のウオーターメイツスイムクラブと書いてある。だから会わないのか・・・。どんなやつなんだろう・・・。戦ってみたい・・。
私は一人で、彼をライバル視していた。
どんな顔をしているのか、考えると練習をがんばることが出来た。こうして今も、奴が練習しているのだろうと思うと、自分も負けられないと考えた。小学生の癖に、そんなライバル心を持てたのは、今思えば彼の存在のおかげだ。

そのうち、ジュニアオリンピックという、ジュニアの全国大会が出来た。その大会で、私は彼を探した。自分の出場する召集所や、プログラムから自分のレースの組にいないか、探したのだがいない・・・。
彼は私のエントリーしているクロールではなく、背泳ぎや個人メドレーにエントリーしていた。
その時にわかったことなのだが、クロールは私の種目だが、彼の専門種目はクロールではなかったのだ。私は彼の専門種目ではない種目で、私は彼を追いかけていたのだった。
それもショックだったが、もっとショックだったのは、彼が自分の種目で、すべて優勝していたことだ。おまけに最優秀選手賞まで獲得していた。私はジュニアの頃は中学3年まで優勝した経験がない。ジュニオリンピックの最優秀選手賞を獲得できたのも、中学3年の時だ。

ジュニアのころ、「ナガタリュウジ」は、いつも先に行っていた。
日本中学新記録を先に出したのも彼だ。私が出したのは中3だが、彼は2年生の時だったはずだ。
種目は違っても、私は彼の存在が自分の競泳選手としての「目覚め」のきっかけになったことは間違いない。

そのうち、日本選抜合宿などにも出るようになった。初めて選抜合宿に出た時、周りは私も憧れるような有名選手ばかりがそろっていたが、彼は顔が広く、トップスイマーに友人が多い。年上の一流選手ともとても仲がよく、会話が絶えず、とても楽しそうにしている。
しかし私は、一流選手の集まった合宿に、ただ緊張し、練習について行けるか、それを思うと心臓もドキドキして、誰かと友達になるような心境ではなかった。
彼はそんな不安な顔をしていない。すでに国際大会にも出場経験があるとのことだ。

とにかく、私が勝手にライバル視していた種目は、彼の種目ではなかったのだ。すでに本来の彼の種目では、とっくにトップスイマーであり、ジュニアの国際大会にも数回出場し、多くのトップスイマーに顔が広く、私にとっては圧倒的な存在だったのだ。その頃は、彼の存在が、ずっと遠くに感じられた。

そんな彼と、いつからか、いつのまにか、凄く仲が良くなった。
「りゅうじ!」
「けんいち!」
と呼び合い、いつも一緒につるむ様になった。試合会場でも、学校が違って休憩テントが違っても、お互いにどちらかの休憩場所にいて、色んな話をした。スイミングも違うから、日本選手権クラスの大会でも、休憩場所は違うのだが、どちらともなく互いに会場で探しあい、互いに場所を確認して、どちらかの場所で一緒に過ごした。
レース前には、自分の今回の目標について互いに語り合い、互いに刺激しあった。
彼は嫌味なやつで、ちょっと普通な言い方すると、「君、そんなんじゃオリンピックいけないんじゃないのお〜?はん?」とか、そんな言い方で追い詰めに来る。私はなぜかその彼の嫌味な言い方がおかしくて、どんどんワザと乗ってみせる。「いや、むしろ君の方があまいんじゃないのお〜?あん?」と言ってやる。
結論、結局二人ともオリンピックには行けなかったが、明らかにトップの時代があった。時代が悪かった側面もある。競泳の海外派遣選手に、大麻を吸引していた選手がいたことがあって、書類送検されるなどして、私たちのピーク時代には、ことごとく海外遠征や、国際大会を日本水泳連盟が辞退した。

ちょっと口が悪くて嫌味っぽいけど、なぜか全然憎めないやつ、竜司。彼はその後大学をアメリカ留学してしまった。だから日本から離れて、ほとんど会わなくなった。水泳会にも少し距離が開いたと思う。私は日本大学に入り、日大水泳部の最大目標である「天皇杯」獲得の為の生活にどっぷり浸かった。数々の若気の至りの積み重ねだったが、つい最近になって、少し自分の学生時代を許せるようになってきたが。しかしリュウジと私はまったく違う学生生活を送っていたのだろうと思う。

お互いに大学を出て、サラリーマンにもなり損ねて、私も疲れる恋愛にヘキヘキして別れ、リュウジもなんやらこれからどうしようか・・・という状態のとき、私たちは久しぶりに連絡を取った。彼が日本に帰ってきていることを知った。
それから、学生時代の数年間の穴埋めをするように、私たちは頻繁につるんだ。二子玉川の私のマンションにもしょっちゅうリュウジが来た。町田のリュウジの家にも行った。互いに昔話して、酒を飲んだ。カラオケにもよく行った。歌の得意な私は、彼のリクエストを歌った。歌の下手くそなリュウジが、上手く歌えるようになりたいと私に歌い方を教わったり、互いに知り合いの女の子連れて、プールに行ったりした。競泳選手時代の同期の「塚崎真澄さん」とも、一緒に遊んだ。遊んだといっても、朝まで飲むだけ。酒屋でビールとテキーラ買ってきて、サイダーで割って一気飲みするうち、3人とも気を失った。楽しかった。

しかし、お互いに、このままじゃいけないと思っていた。そして大好きな水泳の水着やジャージを販売する仕事をしたいということになった。二人ともそう思っていたから。
ロスのミッションビエホに行き、リュウジはメーカー交渉をした。私は日本の小さな販売会社に入り、そこで仕事を覚え、力をつけようという事になった。社長一人でやっている会社だった。
安月給で、約束を守ってくれない社長だったが、そんなことより何より、私は世間知らずだった。営業も知らなかった。アマチュアスポーツで天狗になって過ごした時間は、世間ではまったく通用しない。リュウジも静岡県にある大きな商社に入り、やはり水着販売の仕事に就いた。
そして互いに長くは続かなかった。水泳界でのビジネスは、私たちが考えていたほど簡単な世界ではなかった。
自分たちのセンスには自信があった。しかし、デザインなんかより、より商品が売れなければ会社は倒産するだけだ。私たちはもっと勉強して、仕事の経験して、仕事に強くならなければ話にならないと悟った。
二人で久しぶりに会い、酒を飲み、泣いた。甘かった自分たちの想いを振り返り、これから離れていくのだという事実を受け入れるべく、涙で互いの想いを洗い流した。

その後、それぞれ紆余曲折あり、10数年経った。
私はまだサラリーマンだが、家族ができて、子供が5人できた。
リュウジも結婚して男の子がいる。NTTやソフトバンクなどの一流企業を経て、いよいよ独立した。

先日、億万長者の「さかっぺ」と、奈良まで会いに来てくれた。そういう面倒なことをやらない彼には珍しい。そして一緒にまた、誰でも簡単に始められるネットワークビジネスをやろうという事になった。まあ、それが目的ってわけでもない。久しぶりに一晩中呑んで、一晩中話した内容は、ほとんど昔話だった。
今はリュウジはさかっぺと一緒にいる方が多い。リュウジにさかっぺを、さかっぺにリュウジを紹介したのは私なのに、私は彼らとは頻繁には会えない。遠い所にいるから。
でもあんまりやつらとつるんでいると、きっと妻は無口になっちゃうような気がする。(笑)
でも、もしかしたら、ノビノビするのかもしちゃうのかなあ?
う〜ん、でも、やっぱりさびしい想いをすると思うから、これで丁度いいのかもしれない。
けどやっぱり、2人とも好きな友達だ。2人とも幼なじみだし。もっと話がある。もっと一緒にやりたいこともある。カラオケにも行きたいし、洒落た店に呑みにも行きたい。リュウジの奥さんと子供にも会ってないし。まだ宿題がある。けど、これからは少し接する機会が増えそうだ。嬉しい。
けど、なぜか最近、彼は私を「けんいち!」と呼ばなくなった。「スミケン」と呼ぶようになり、私は少し変な感じがする。
さかっぺは昔から「スミケン!」だったし、リュウジは昔から「けんいち!」だ。どうしてかな・・・。

そのうち東京行くか・・・。

経費かかるなあ〜