水泳とのかかわり方

昨日、長男が、脚や肩などが痛いという理由で、スイミングスクールを休んだ。熱が37.3あったのだと言う。
私は仕事だったので、家に着いてから知らされたのだが、当人はスイミングは休んだものの、学習塾に行っているとの事だった。
私は最初、そんななんともない理由でスイミングを休ませてはいけないんじゃないかと、妻に忠告しようと思ったのだが、休んだとはいえ、すぐにでも学習塾に向かい、結局、夜の10時を過ぎてまで、塾で勉強してる長男を思うと、それを言うのもちょっとなあ〜と、躊躇した。
水泳のような心肺機能と密接に関連しているスポーツは、たった1日の練習を休むだけでも、ライバルとの差が1週間も発生するスポーツである。週の決められた休み以外は、基本的には練習を1日すら休めない、デリケートな競技なのだ。
長男はそれほどのレベルではないが、少し体が痛いくらいで休んでいるようでは、本人の目指す、全国大会への出場や、ジュニアオリンピックへの出場など、夢のまた夢でしかない。
そんな意識では、到底かなわぬ夢よ。

そういう現実を知っている私。
妻も、長男も、まさかそこまで・・・・と思うだろう。
しかし、長男は次の日に練習に行けばわかるはずだ。回りのライバルとの「差」を感じるだろう。まだまだ伸びシロのある、若い選手であれば、なおさら練習を休んだ事による「差」が、顕著に開く。





私の両親は、私が子供の頃、練習を休みたいといっても、熱が39度以上なければ休ませてくれなかった。
子供の頃は、耳に水が入ることから、よく中耳炎になった。ひどく耳が痛くて、泣いて練習を休みたいと言ったこともあるが、耳の穴に、ワセリンを押し込み、穴を塞がれて練習させられた。
ある日、耳の辺りがあまりにも痛く、熱も38度あったのだが練習を休ませてもらえず、練習中も痛くて痛くて、ゴーグルの中に涙をいっぱいに溜めて泳いだが、練習が終わるとフラフラし、家に帰ってそのままダウン。次の日の朝、起きたら顔が2倍に膨れていた。
病院に行ったら、おたふく風邪だった。
おたふく風邪の症状が出ていようと、38度の熱であろうと、両親は私に、練習を休ませなかった。
風邪で咳が出ていても、プールで練習すれば、水蒸気で咳が止まると言われて休めなかった。しかし、本当はプールの消毒に使っている「塩素」で、よけいに咳が酷くなる。
転んでヒザをザックリ切ったり、捻挫して関節が動かせなくても、手だけ使えばいいとか、キックだけでもいいからと、とにかく練習を休む理由にはならなかった。

本当によくやってきたものだ。
自分の子には、あんなことはさせられない。

とはいえ、長男はそれでも2ヶ月前から、水泳選手としての生活に入ったのだ。簡単に練習を休んでもいいと思わせてはいけない。
1日でも練習を休めば、ライバルと、1週間の差がつくのだと、そう教える事も大切だ。

最近、仕事をなるべく早く切り上げ、長男のスイミングの迎えに行き、30分から1時間程度、練習を見学している。

私が子供の頃、父が私の練習を見に来ると、ガラス張りの観客席の端で、着物着て下駄履いて、和服で腕を組み、じっと私を睨んで見学していた。
まるで、(真面目にやらなかったら、ぶち殺すぞ!)とでも言わんばかりの、仁王立ちだ。
そして、実際その通りに、何度もぶっ飛ばされた。
同じくらいの年齢の、隣の子に負けていたりすると、迎えの車に乗り込んでから、父が一言。
「おい!けんいち!頭を前に出せ!」
と、後部座席に座る私を呼び、頭を運転席の方に突き出させ、
「ゴン!!!」
と、まさにゲンコツ!星が飛ぶようなゲンコツをくらった。
隣の子に負けるな、後ろの子に追いつかれるな!前の子を追い越せ!と、右も左も前も後ろも、すべてに負けるなと叩き込まれた。
練習態度に気に入らない事があると、容赦ないパンチや張り手が飛ぶ。
そして泣きながら練習へ行く。
小学3年生から自分で歩いてバス停へ行き、バスに乗って30分。
スイミングに向かった。
16時15分のバス。16時45分頃に到着し、17時から陸上トレーニング。18時から水中練習。
20時、よる8時まで、2時間水中練習。
父が迎えがてらに見に来るのは、だいたい19時頃。
練習もメインに入る頃で、一番きつい時だ。
米さんにも制限タイムが切れないと、プラスティックバットで、お尻を叩かれる。
力の入れ具合も、子供だからと容赦しない。
プールの中を、「パ〜〜〜〜〜ン!!」と、物凄い大きな音を立てて、いわゆる「ケツバット」が鳴り響く。
子供たちはみんな隠れて泣く。
プールだから、涙か水かはわからない。でも、ゴーグルの中は涙でいっぱいだ。

強い選手がいっぱい出たスイミングだった。
そりゃあそうだろうなあ〜〜。あれだけがんばっていたんだもの。

その頃の親、父兄は、米さんに絶大なる信頼を寄せており、何につけ、練習や合宿、大会に協力的だった。
練習の時、子供のお尻を、容赦なくケツバットする米さんに、苦情を言う親など、1人もいなかった。むしろ、親のほうが、「先生!ビシビシお願いしますよ!」と、ケツバットを大推奨していた。









今、私が練習を見学に行くと、観覧席の親は、子供の練習風景を見学するどころか、大きな声を張り上げて、主婦の井戸端会議に大盛り上がり。
キャアキャア騒ぎ、お菓子やケーキまで食べ始め、ガラス越しに必死に練習している子供たちを目の前にして、食べ物食べて、ケタケタ、ギャアギャア大騒ぎだ。
時代が変ったんだなあ。
私と妻は、長男の練習している姿をじっ〜〜と見て、インターバルが何秒か、いつもより速いか、遅いか、集中して見ている。
物凄く気が散る周りの大声に、ヘキヘキしながら、子供の練習を見ている。
私はどうしても、コーチ目線があり、自分の子だけではなく、センスの良い子を見つけると、その子の練習にも目を奪われたりする。

どこまで追求すべきか。
何を目的と見定めるか。
それによって私たち親子の、水泳に関わる時間の中身が、大きく変ってくるのだろう。
まだ、私にも迷いがある証拠か・・・・。
あの頃の父が、私を戒めたように、あの頃の母が、私に求めたように、私は息子に道を示せるだろうか。