強欲の呪い

生きていると本当に色んな事に遭遇する。色んな実体験と色んな光景、出来事を目にする。

私は関西にいたから3月11日の痛みを経験しなかった。
もちろん家族も無事だし、財産の被害もない。(財産なんてないけど)



日本全国には、東北の被災者を想い、何かしたい、何か手伝いたい、何か貢献したいっていう気持ちの人は大勢いると思う。

東北の人々は強い。
国の支援対策が遅れても、瓦礫の撤去が進まなくても、長い避難所生活が続いても、仮設住宅に住まわされる羽目になっても、二重ローンに苦しんでも、仕事を失っても、それでもがんばって歯を食いしばって生きている。





でも、いつも目先の利権や欲望の土台に立ってしか、物を考えられない人は、このような地球規模の問題に目を背ける。

国の将来。

子供たちの生きる未来。

その事を真剣に考えている東京電力の経営陣は何人いるのだろうか。
原子力保安院の役人には、自分たちの原子力に対する謝った推進と管理手法で、どれだけの人間を苦しめているか、本気で反省した者がいるだろうか。


原子力村に群がる推進派は、これほどの事故が起き、あの場所が向こう数百年かかっても根本的な安全を確保できなくなったほどなのに、原発は安全に運用できると言い張る。
この前はちょっと失敗しちゃったけど、今度はうまくやるよって。
その代わり、僕を原子力村の利権に混ぜてねって言いながら。

彼らは、中国の原発推進に、日本も便乗すべきだと言う。今回の原発の失敗を記述の進歩に役立てて、中国に売り込むべきだと言う。
韓国にも同じビジネスチャンスがあると言う。



すべては利権である。彼らは金が欲しいのだ。


人間の欲望は尽きない。彼らは、冬の寒さに凍えている人々を救おうとして原子力を考えているのではない。金貨と紙幣を見て、原子力を使おうとしているのだ。



日本は少し電力に関しては辛抱して、最小限の原発運転をしながら、ソフトランディングで代替エネルギーの開発を進め、世界に先駆けるべきだ。
一方で、原子力の研究を含め、エネルギー開発の研究は進めるべきだ。原子力を前提にするのではなく、あらゆる可能性を研究する必要がある。反物質重力エネルギーもそのひとつだろう。


明日の担うこの国の子供たちが、もっともっと原子力の真実と、国を支えるエネルギー政策の問題に参画できる教育基準を整備し、人類全体が原子力を含めた新しいエネルギー知識を身に付け、エネルギーに対してもっと進化しなければならないだろうと思う。


私はまるでこの時代が、人々の強欲によって呪われているのではないかとすら思う。