給食のこと

ある方のブログを詳しく読み、大阪の給食の実態について、一定の理解ができた。
制度の実施基準が、全員を前提としていない 、イコール、給食が選択性で良い・・・・・。と当てはめる理屈のつながり方が私にはわからない。そういうやつがいるが、残酷の他県の子供達と同じように、義務教育を受ける子供たちに、どうして給食を当たり前のように準備してあげたいと思えないのだろう。
市や府や国が借金だらけだからといって、その借金が未来の子供に背負わされるという議論と、給食を義務教育の上で生活環境による不平等や栄養状態の均衡などを担保することと、ロジックを同じにして議論するのがすでに筋がずれている。
義務教育における給食と、この国の、一部の官僚や一部の役人が積み上げた府の歴史による無駄が、同じロジックで語られるのも、どうも解せない。
よくわからんけど、給食をすべての子供たちに!と言うと、大阪では共産党員と言われるらしい。でもそれ、共産党のか方に失礼だなあ。

そもそも自治体が給食運営費を懐にしまい込んで、暇な役人の残業手当になっている事の方を改善する事が先なはずだ。ゴタゴタ文句言う前に、そっちが先だろう。給食は無駄な税金の使用用途ではない。国が成熟していく上で、一番最初に全国統一に、整備されていなければならなかった定義だ。その意味で一部の自治体の罪は重い。重大な過失じゃないだろうか。もし個人なら役人であろうと公務員であろうと、民間人であろうと、とうに詐欺師として告発されるんじゃないだろうか。私は地方交付税の詐欺を正しながら、同時に当然のように粛々と給食を新たに整備する事が当然だと思う。
どうして全国統一基準で義務教育の子供たちに給食が提供されるようにすることに、ごちゃごちゃと反対するのか、まったく分からん。
しかも、なぜ他県でほぼ当たり前になっている事を、大阪はいつもこうして受け入れられないのか。普通の事じゃないか。学校給食は。
私は社会保障に関わる民間の仕事しているが、人間は全知全能ではないのだから、自分の担当した社会保障の一部の役割を、確りとまっとうするしかない。それが仕事であろうが、税金という形であろうが。
義務教育の給食も、必要な方への介護も、当然全国的に統一の基準で実施しそのサービスは同品質で担保されなければならないと思う。
はっきり言って、日本は給食が不必要なほど豊かな国ではない。
お昼のお弁当を満足に持ってこれる子供たちばかりじゃない。
福祉用具の配送をしていると、色んな家庭の現状を知る。
国の将来を語るのならば、まさにその将来を担う子供たちを、ひとりも欠けることなく十分な栄養状態にすることが道徳ある社会である。
社会保障制度の前提は、利益の再分配であり、その理念の前提に立つものは、最低減の保障である。
義務教育を受ける子供たちは、その読んで字の如く、義務として、教育を受けることであるが、その教育を正しく受ける為の、栄養の摂取を、正しい栄養素と、正しいカロリーで、せめてお昼くらい食わせろや!って。

まったく!