転勤貧乏

転勤があるのがサラリーマン。

転勤には様々な家庭内の経費がかかる。

会社は家庭環境など無視して突然転勤を言い渡す。

だからみんな単身で行かなきゃならなくなる。

せめて年度末まで待ってくれれば子供たちの転校や進学のタイミングに合わせられるのだが。

遅れて家族が合流するしかない。

仮に私の場合、長女は大学生だし、長男は高校生だから、残りの下3人と妻が私と合流したら、上の2人は大阪に残すしかない。

一緒に暮らすためには長男は高校を転校するしかない。

編入試験を受けて、都立高校に編入するとか。

しかし長女は大阪に下宿させることになってしまう。

家賃5万円生活費5万円。交通費5万円。

15万円のコストが転勤で飛び出ることになるだろう。

学校の年度末までは、働き手が単身赴任となるので、家賃負担は2ヶ所となる。

単身先の家賃は自己負担。

会社は2ヶ所の借り上げ社宅を負担しない。

1ヶ所しか助けない。

そして単身先の家賃5万円。生活費5万円程度。

2ヶ所による2重生活の為の家電製品も10万円〜50万円はかかるだろう。

家族の合流までの間、互いに行き来する交通費もかかるだろう。

2ヶ月に3回しか帰省の費用は出ない。

家族に何かあろうと、2ヶ月に3回以上以外の帰省は自己負担である。



会社は家庭環境を無視することをむしろ美徳と考える。

無視することが平等意識と平等物理を担保すると勘違いする。

それぞれの家庭環境にあわせて配慮する制度を好まない。


みんな一律平等と言う。


しかし私は思う。

一律同じ基準で家庭環境を計る福利は、むしろ不平等である。

税金を、国民が一律同じ金額にするというのと同じ発想だからである。




稼ぎによって税金が違うように、家族構成によって福利は変動するのが本質的な平等であると思う。

人間が考える平等意識など、実は穴だらけであり浅はかなものでしかない。


そして価値観によって意見も変わる。

それはみんな自分が得したいと考えるからである。



子供の居ない夫婦と、子供が5人の家族が、同じ福利の条件であるのは、物理的にも不平等であり、もちろん精神的にも不平等と言える。


しかしこの考えであっても人の価値観で平等への意識は変動する。


社員も国民も、人間がすべて一律の福利や税金負担などによって判断されるなら、むしろ私は税金が突然減るだろう。

社会保障なども不必要だろう。

一律同条件であれば、人間は人間を救う為の、利益の再分配という社会保障など不必要となるだろう。

社会保障が不平等と言うことになる。


まして少子高齢化の日本。

子供が多い我が家をどのように計るべきか。



国の将来を思えば、学費、税率など、もっと考えろやと思うほどだ。




政治家は票が集まる高齢者優遇の政策しか考えないから別にいいけど。

ま、国になにかしてもらおうとは思わんけど。





転勤は【損】する。

出世して処遇が上がるから転勤の経費リスクくらい飲み込めやというのは、倫理のロジックが破綻している。

一方で処遇を語り、一方で福利を語り、都合に合わせて双方を混在させて語ることは、憲法を自由にわがままに解釈して他国の戦争に参加させようとしている現在の政府と同じことである。



私は家族が一緒に暮らし、家族の幸せのために仕事をしている。

働くと言う倫理は、社会の為でもあるが、仕事をする直接的な理由は、守るものがあるからである。

転勤して経費負担が圧倒的に増加し、家族が離れて暮らすしかない選択を迫られ、進学や教育に多大なマイナス影響が出るために、仕事をがんばっているわけではない。


そしてただ漠然と出世して高給取りを目指そうなどとも思っていない。


家族を守る為。

部下たちの将来を創造する為。

世話になった会社や創業者に対して恩に報いる為。

その為に自分は力を付け、知恵をフルに使って、力を発揮し、必要とされて初めて、重要な立場を担う気持ちなだけだ。


全てを含んでいる【社会】という世界では、未だに【倫理】の基準さえ曖昧である。

砂糖にまで税金かけようとするあこぎな国日本だし。

転勤で突然貧乏になる会社だし。

望まれてする転勤ですら本人が大損する。

長い目で見れば得をするからなどという論理は、福利のロジックが破綻している。



日本で暮らすってホント、経費かかるなあ〜〜