いじめ

いじめの問題についてある人と文書で議論して、その後、ラジオでも同じような意見を聞いたのだが、落ち着いてもう少し考えてみたのだけれど、なんかやっぱり違うんじゃないかって思ったことがあった。
その意見とは、
【いじめ防止の問題は両親にあり、学校でも教師でもクラスメイトでもない】
という意見なのだが、考えてみるとそれは見方が偏っていやしないだろうか。




子供は自分がいじめられていても、それを自分の親には話さない。
平気で、
「僕、いじめられてるんだよ〜、お母さん助けて〜」
なんて言う子供は、逆に勘違いじゃねえか?と疑った方がいいくらい。
そのくらい、本当のいじめにあってる子供は親には見事に隠すものだ。
よく簡単に、いじめを見抜けなかった両親が悪いという意見を聞く事がある。
確かにそれは間違いではなかろう。
だって親だもん。言い訳できねえわな。


だが、子供は自分が親にとって「いい子」で居たいという気持ちが、実は物凄く強い。
だから、親には自分がいじめられているなんて、口が裂けても言えないはずだ。
自分がいじめっ子と戦う勇気がない子供だと、そう親に思われたくないし、親にとっては自慢の子供だろうから、友達にいじめられてるだなんて、そんな風に思わせたくない・・・とも思うだろうし、これだけ沢山の子供がいる中で、よりによって自分の子供がいじめにあっているとも思って欲しくないと、そう考えるはずだ。


つまり、子供は自宅で、何事もなかったかのように振る舞い、場合によっては、自分はむしろ、いじめを見つけて注意しているくらいの嘘をついて、親を安心させてしまう事もあるだろう。
それほど子供は親に褒められたいと思っているし、親には自分の弱みを隠したいものなのだ。
親に心配をかけたくないし、親をがっかりさせたくないのだ。



マンションから飛び降りて死ぬなんて、こんなに恐ろしい事が出来るくらいに追い込まれていて、しかも、それを実行できるほどに病んでいる心で、親に冷静に自分の現在の立場を説明できる10代の若者なんか、この世には存在しない。
それこそナンセンスだ。



すなわちやはり、いじめの問題は、両親だけでは抑制防止できないのだ。



出来事は概ね学校やその周辺で起きている。
そして相手はクラスメイトや友達(そう呼べるのか?)などの同級生によって成されている。

両親の見えないところで、
両親の知らない生徒達に囲まれ、
両親がよく理解し切れていない教師たちが指導し、監督している学校で、起きている事を、両親が、かたや父親は仕事をしながら、母親は家事をこなしながら、そのすべてを洞察し、観察し、予測し、あらゆる予防対策を講じ、危険な学校生活のいじめから、我が子を守る防衛を最大化するなんて、



絶対に不可能だ。



それにやっぱりロジックが違う。



さらに言えば、義務教育の現場においては、教師は社会の税という利益の再分配のシステムの中で給与を得て、聖職を担当しているのだ。子供のいじめによる自殺を防止するなんて事は、教師の当たり前の仕事であり、ましてや、今回の大津市の件の様に、教育委員会までもが隠蔽に必死になって、都合の悪い事に蓋をするなんて、全然教育委員会じゃないだろうが。
人間舐めすぎ。
子供馬鹿にしすぎ。
親を踏みにじりすぎ。


いじめを抑制したり防止したりする努力を最大化する場所は、家庭や両親ではなく、学校と教師にあるべきである。
現代は、その教師が頼りなくなっていて、まったく信用できない日教組見たいのが多いから、親が教師を信用しなくなっただけで、だからといって親がいじめ防止について、現場が学校なのに、どうやれって言うのか。
どうもでけん。
自分の子供に、事あるごとに、
「おい、大丈夫か?いじめられてへんか??」
なんて聞いてばかりいる家庭の方が異様である。



いじめによる影響が、ほんの少しでもあって、子供が自殺に追い込まれたとするならば、いじめによる自殺は殺人であり、両親は加害者ではなく、被害者なはずである。



親が悪いなどと強気な発言も良いが深く考える必要があろう。


アンケートや意見聴衆による生徒の証言では、教師は、いじめている生徒と一緒になって笑っていたというではないか。
こんな教師に子供が相談できるだろうか。



痛ましいのは、自殺した子供のクラスメイトも当初は黙っており、教師も当然だんまりを決め込み、学校も隠蔽工作に必死で、ついには教育委員会でさえ、話は二転三転、隠蔽の事実が発覚。
そんな中で、いじめを発見できなかった両親が悪い・・・などと言って、簡単に片付けようとする日教組。そして、この教育委員会をはじめ、学校体質や、いじめの張本人たち、教師、マスコミが追及すべき取材対象はいくらでもあるのに、テレビのワイドショーはパンダの赤ちゃんが生まれた話ばかり。
で、今日死んじゃった。
タツでせんべいボリボリ食いながら暇な主婦が、「かわいそ〜ぅ」なんて言って、中国のパンダ見て泣いて、本当にそれでいいのか。



3日ほど前、息子がスイミングの練習後、着替えてきて外で、ある同級生くらいの子供に肩を組まれ、
「すみよしく〜〜ん!がんばろうよ〜〜!」
と、息子の肩に手を廻し、しなだれかかり、寄りかかり、からかっていた。息子は少し顔を引きつらせながらも、笑いながら対応していたが、その子供は私の存在を確認すると、サッと息子に肩を組むのをやめ、去っていった。
あえて息子には何も言わなかったが、息子は顔を引きつらせていた。
からかわれているのが嫌な気持ちだったのだろう。
息子にとっては嫌なことだったのではないか。
しかし、その子供にとっては、本当に親しみを込めたつもりだっただけかもしれない。
それでも、人によって感じ方はそれぞれであり、違うのだ。
それを何度も繰り返すことによって、いつの間にかいじめに発展しているってこともある。



最初から自殺するような追い込まれ方をしていたわけじゃなかったはずだ。
いじめの『芽』を積んでおく必要もあるだろう。
しかし、子供同士のふれあいを必要以上に抑制するのは間違いとなる。




やはり要は教育指導なのだ。
道徳倫理正義。
徹底的に、何度も何度も、様々な状況に置き換えて、子供達と共に正義について考えなければならない。