卑怯者

全員が全員、生徒に手上げた事を一言で暴力と言って定義できるのか、それは疑問が残る。

しかし、多くの日本人は、そして私は、そういうケースを指して、教師の暴力とと言っているわけではないと思う。

まともな考察のできる人間ならばその程度の判断は出来るだろう。



しかし一方で、体育指導の世界は昔から、慢性的にどこを見渡しても暴力ばかりだった。

暴力は人間の性。

暴力教師がなぜ暴力教師となりえたか。

誰にでもその可能性がある。

言う事を聞かない子供を見る時、未熟な大人は、【カーッ!】となることもしばしばである。
そんな時、暴力の資質を持った未熟な大人は、力関係を計算する。
抵抗できない、立場の弱い、スポーツを諦めきれない生徒が、ただただ何も出来ず、黙って暴力を振るわれて耐えることしか出来ない現実を、未熟な教師こそ知る。卑怯な思考が自分を支配する。

一度無抵抗な生徒に暴力を振るう快感を得た未熟な教師は、脳内から快感物質がドバ〜〜ッと流れ出て、全身を興奮と快感が襲うのだ。

つまり一度無抵抗で弱い相手に、好き放題に暴力を、しかも一方的に振るう経験をした教師は、もう二度と止められない。
自分の体を突き抜ける、ドーパミンの流量に、自分の快楽中枢は、それを忘れられず、二度と暴力を止める事が出来ないのだ。

【卑怯者】という言葉があるが、生徒に慢性的な暴力を振るう教師は、この言葉そのものが完全に一致して当てはまる。

無抵抗で。
競技を諦められなくて。
学校を辞められない立場で。
まだまだ体も出来ていなくて。
両親に心配かけたくない立場・・・・・。

そのような圧倒的に弱い立場の子供を、脳内快楽から抜け出せない卑怯な教師が、一方的に、殴る蹴るの暴力を働く。

私は中学時代や、高校生活や、大学生活で、何度も何度も見てきた。

昔の方がよっぽど凄かった。

鼻血を滝のように流し、あたり一面が血だらけになっても、その血をふき取らされたのは、殴られていた生徒だった。
鼻の骨を折られても、生徒は学校を辞められなかった。
高額な授業料を親に出してもらい、何としても卒業しなければならない立場だった。
高校時代の体育教官室の教師達は、その生徒の心理をすべて承知であったから、思う存分生徒を殴り続けた。

まるでヤクザ、チンピラのような振る舞いで、暴言と凄まじい暴力は、高校時代の私であっても、これらの教師が、大人として如何に未熟かと、心の底から軽蔑したものだった。


過去にも書いたが、私の大学時代にも、たまたま練習に来ていた付属高校のコーチが、プールサイドで、まだまだ体の出来ていない高校生を、ものすごい勢いで、凄まじい暴力を振るっていた。
一度や二度ではない。
今日は誰がスケープゴードになるのか、生徒達はビクビクしながら練習していた。


恐怖で支配されたプールで練習するこの付属高校は、人数が多いこともありチームとしては強かったが、チャンピオンは育たなかった。
いや、みんな最初はその素晴らしい素質があったのだが、このコーチの暴力練習によって、選手は何かを壊されたのではないだろうか。
当時私は、まだまだ子供で、はっきりとは言えなかったが、しかし解っていたのは、あのコーチが【卑怯者】であり、【ろくでなし】であることだった。

今もその気持ちに変りはない。


柔道の女子日本選抜チームの監督でさえも、暴力によってチームを支配していたようである。
一番軽い戒告処分との事だが、これが選手の意向をどのように汲んでいるのか、不安に思う。






古くから蔓延していた卑怯者教師の圧倒的な暴力文化に、いよいよ自殺した生徒が出てしまった。
暴力の快楽に身をゆだねて来た教師は、まだまだ全国には数え切れないほど生息しているはずだ。
私の母校もそんな体育教師ばかりだったのだから、どこでもどこにもウジャウジャしているのが現実だ。
高校側は、必死に自校の教師の暴力を隠そうと必死なはずだが、この際、国や自治体は、卑怯者教師、暴力麻薬に取り付かれたキチガイ教師を徹底的にあぶり出し、暴力ではなく、論理と倫理と情熱で指導する、本物の技術者を引き上げ、また教育し、育て、チャンスを与えるべきである。
老獪、古くからの悪しき習慣、体育科にありがちだった、当たり前のように振るわれ続けていた暴力を、この際に、一層すべきだろう。

体育教師よ、暴力教師よ、成長しろ。

その手を後ろへ下げ、頭を使え。学べ。論理で競技を突き詰め、倫理で指導し、情熱でひきつけろ。

恐怖で育てる時代から脱却せよ。




過去に暴力を積み重ねた歴史を持つ指導者は、自らその職と立場をすべてを捨てて、ただ去れ。

それは自分が忘れたくとも、受けた生徒にとっては決して消す事は出来ない暗い過去だからだ。
その責任を、職を辞する事で果たせ。