先生の願い







気持ちを吐き出す場所って皆さんは持っているのだろうか。

そんな場所、なかなか持ってはいないだろうし、そのような機会はなかなかないだろう。

でもみんなそれぞれやりきれない気持ちになったり、おかしいと思うことを指摘したい、時にはそれが攻撃になったとしても、自分の理解を人に訴えたくなる事があるはずだ。

若い頃の私は、そういった自分の気持ちを躊躇なく相手にぶつけてきた。

そのおかげでよくトラブルも起こした。

喧嘩になるのはもちろんだったし、意見衝突すると、とことんまで議論するほともあったし、そのまま一晩過ぎる事もあった。

一方で、青春の真っ只中、私の友人は、そのような私の気持ちを、真っ向から受け入れてくれていたように思う。

いつも私の気持ちを聞き入れ、その言葉を租借し、そしてまた私に返してくれた。

今はなかなか会えない友ばかりだが、当時のことを思うと頭が下がる思いだ。

自分がそのように、人の言葉を聞き入れ、笑って答え、租借する心の許容範囲あったのかと言えば、はっきりって自分にその力はなかった。

大学の水泳部の監督が、そんな私を称してこんな風に言った事がある。

『おまえは太陽のような人間だ。おまえは太陽でいいが、いつか持つであろうおまえの伴侶は、太陽のような女ではダメだろうと思う。太陽と太陽では、熱が上がりすぎて、常に戦いに発展する事になる。選ぶなら月のように、静かにお前によって、夜に闇に照らされるような相手を選ぶほうがいいぞ。』




学生時代の友や先輩、後輩は、私を活かしてくれた。

きっと私のような暑っ苦しい男は、めんどくさい事もあったろうに、いつもにこやかに接してくれていたんだなあと、いまさらながらに反省する。




会社でも同じだ。

上司はそういうわけにはいかないが、部下や後輩は、いつも私を優しく受け入れてくれる。

戦略や戦術を述べていても、ほぼ黙ってそれを信じ、一生懸命行動してくれる。

だから成果が出る。

とはいえ彼らも一言では言えない苦労が、現場には溢れているであろうに、個々、それららを乗り越え、小さな壁を何度も何度も乗り越え、危機や困難と闘って、そして細かい成果を沢山積み重ねてくれているのだろう。

時に上司の立場は、仕事の成果を自身の成果と錯覚する気持ちになりがちだ。

過去の私のあらゆる経験や成果は、自分の力など僅かでしかなかったのではないだろうか。

私の事を認め、私を許し、私を評価してくれた多くの友や先輩や後輩や部下達が、そして心の広い少ない上司が、私を活かしてくれた。

大いに不安要素のある、常に奇抜なことを言う私を受け入れるのは、並大抵の事ではなかったろうに。




それでもこの性格はなかなか変えられない。

不条理な事には怒りが湧き、間違いだと思うことにはそれを言わないではいられない。

これでもずっとずっと我慢するようになったが、まだまだ私の心をくすぶらせる。




私の青春時代を全身で受け入れ、多感な私を育ててくれた師匠の米川先生は、その究極の人物で、一度も私のこの横暴な人格を否定する事はなかった。
いつもそれを正しい方向に向かえるように指導してくれて、良い成果が出せるように導いてくれた。
先生が生きていたときは、私は怖いものがなかった。
何が起きても、先生の下に帰ればそれでよいと思っていた。
人といざこざが起きても、先生はそれを正しく見極め、対する私の今後のあるべき方向を指示し、否定される事なく、、時には反省したり、時にはまた前を向いて一歩を進めることが出来た。



先生の死後、私はその人生の柱を失ったが、学んだ多くの先生の言葉や様々なシーンが、私を支えてくれた。

私は自分に言い聞かせるように後輩達にも先生のメディアとして、その言葉を繋いでいる。
繋いでいるつもりだ。(うまくいっているかどうかはわからないが)




この歳になり、自分の心をさらけ出す場所はほぼなくなった。

喉まで来ている自分の正当性を、今はほとんど飲み込むようになった。

でも、人はみんなそんな自分を吐き出す場所を求めているのではないだろうか。

それが恋人なのか肉親なのか、あるいは人にぶつけるのではなく、自身の胸に秘め、それをエネルギーに換えて何かの目標に向けているのか・・・・・。



口に出すばかりではなく、気持ちをグッと心に秘め、奥歯をかみ締めて生きる、そんな生き方を私は学ぶべきなのかもしれない。
いや、一番成果が出せた時っていうのは、きっとそうやって生きていたときだったような気もする。


弱い自分に勝ち、汚い自分に蓋をし、心の底で魂を磨きながら生きる事が、きっと先生の私にしてほしい成長だったのかもしれない。
そんな生き方が先生の私に対する希望だったような気がする。