常識


『そんなことは世間の常識じゃないか、なぜそれがわからないんだ!』

と、一度は親であれば子供に、

あるいは上司であれば部下に、

時にはプラプラしてしょうがない恋人に、言ったことがあると思う。

すると決まって、

『そんな常識誰が決めたの?そんなのわからないじゃん。』

と、反抗反論の言葉を耳にすることがある。


それが若さによる言葉なら仕方がない時期のあるだろう。
子供はそれがどんな意味か、分かっていないまま、ただ反抗したくて言っているに過ぎないこともある。
それは成長期の葛藤の姿であり、それをいかに思慮深く指導教育できるか、それは親や大人たちの役割だ。



しかしそれが大人であり、社会人であり、夫であり妻であり、親であり主婦であったらなかなか事は深刻である。
深刻な問題であり、深刻な人格欠如の大人だ。






数年前、訳あって知ることになったある女は、夫や子供を置いて毎日夜、夜中まで遊びほうけ、酒の場に行って男と酔って駄弁り、飲酒運転で夜中に帰宅。
子供に朝作る朝食は二日酔いのまま毎日パンを焼くだけ、夕食は毎日玉子焼き、日曜日は家庭内別居している不埒な女友達とゴルフ三昧、そのまま買い物行って勝手に食事。家庭に残った夫と子供たちは、家でカップラーメン。時々外食・・・・・。


そんな主婦が居た。


本当は関わりあいたくもない女だったが、これも訳あって仕方なく、私はその馬鹿女に、それらの遊びや飲酒など、少しは控えたらどうだと話したところ、その女が一言。

【なにが悪いの?】

愕然とする私が母親としてのモラル、道徳、常識の範囲を、せめてもう少し考えたらどうだと話す。

するとその馬鹿、またこんな一言。

【そんな常識誰が決めたの?】



こういう族(やから)は本当に疲れる。

そしてこういうタイプは人に近づく時に、最初徹底して猫を被る。
だから本性をなかなか周りが見抜けない。
そして人にパラサイトのように取り付いて、徹底的に搾取した後に、本性を表す。
まるで別人のように自身の本性を見せ始めるのだ。

ただ私は昔からこの女を知りたくもないが知っており、昔からどんなアホか知っていた。




人のいい人間はこういう人間に騙されやすい。
そしてひどい搾取に合い、徹底的に時間と金と、心を搾り取られ、ボロボロにされる。
搾り取るだけ搾り取られ、ボロ雑巾のようになるまでだ。



こういう悪魔は、罪悪感もまったくない。
むしろなにが悪いのかと開き直り、常識、モラル、道徳、尊厳などという、【倫理】をもっとも嫌う。




人と人とのかかわりの中で、精紳をどれだけ痛めつけられたとしても、これはなかなか法律では裁ききれない。
裁判官にはこのような人物の本性を見抜き、正当な裁きを下すまでの洞察力はない。
ましてや会話の録音でもして、声の証拠でもないない限り、戦いにもならないのが現実だ。
そしてたとえ証拠があっても、裁きの場で泣いて嘘つけば、決定的な罪とはならないのだ。
金を払えば優秀な弁護士がつき、さらに搾り取られるだけである。


最後は取り付いていた人から全てを奪い、なに不自由なく得たいものを全て得て、逃げ出し平然と暮らす。
離れた後まで長い時間、搾取の方法を法的に得て、豪遊して暮らす。

そしてさらに、次のパラサイトの先を見つけるのだ。

こういうのを悪魔の所業と言う。






社会の常識と言うのは、誰かが決めたものではない。

【そんな常識誰が決めたの?】

という言葉には人としての究極の浅はかさと、人間力の決定的な欠如が見える言葉である。

常識や道徳、モラル・・・・・それらがこの社会に見えないがしかし重要な倫理として存在しているのはなぜか。
それは人類がこの地球上に誕生して以来、互いの尊厳を守り、身を守り、人の心を平静にし、人類共通の究極の目標である、【平和】を実現したいが為に、長い歴史と、辛い経験と、戦争や抗争などの多くの間違いの上に、反省と議論を積み重ね繰り返して創り上げてきた、

【英知の結集】

である。

その上で人類は様々なルールを設け、法律を生み出し、環境や歴史の積上げによって国が成り立ち、国によって若干の違いを経て、憲法を作り、宗教的背景を以って文化の中に現在に至る。


言うならば、常識は誰かが決めたのではなく、人類が作ってきたものだ。
誰と言うならばむしろ過去に死んでいった多くの人類を含め、現在のこの世に生きる人間全員によって作られてきたものである。

日本の為にたった一発の銃弾に倒れ、故郷に残してきた妻や子供は、たった一人の父親を失い、親はたった一人の息子を失い、兄や弟を失ってきた。
そうした辛い歴史の中で同じ間違いを繰り返すまいとし、それでも議論は分かれ、そしてそれでも常識は存在してきた。





常識を破ることは時に必要だろう。

人類の進化は常識を突き破ることによって成されることも多い。


しかしそれは、ある意味誰よりも常識を知り、そのジレンマを感じているからこそ突き破る必要性を感じるからであり、そもそも常識知らずの馬鹿が語るべきことではない。

ロジックが最初から違っているのだ。





自身の人間としての力のない者に限って開き直って虚勢を張る。

まるで自分の命や人生が、ただ自分の為だけに好きに使えるものだとでも言うように。

子がいれば、親は自分の人生と命が自分のものだけではなく、時には夫の為のものであり、当然子供の為のものであらなければならない。



大人になると聞き分けない。
自己の正当性の主張にだけ必死になり、【正義】を探そうとしない。

みんながみんな、自己の正当性の主張ばかりしていたら、この世は争いと戦争と、奪い合いと殺し合いだけの世の中になっていただろう。

当の昔に人類は滅んでいたかもしれない。




日本の【正義】は、英語で言う【ジャスティス】とは違っているものだ。

日本人であればジャスティスではなく、それぞれの人々の自己の正当性の上に、みんなでどこに【正義】があるか、助け合って探していかなければならないのが日本の正義なはずだ。





数年前、恐ろしい悪魔と戦う為に、数百枚に渡る文書を作成し、人のいい男を守ろうとした。
しかし日本の司法は、一般論で女の味方であった。
悪魔がどれほどの嘘を並べたか。
そしてその嘘と悪魔の所業が、すべて同一線上に並べられ、悪魔が勝利した。
残念なことだが、司法が常に正義を見つけられるシステムではないことは間違いない。

この世には常識があるものの、その常識が常に正義にたどり着くとは限らない。


しかしだが、だから悪魔はいつか滅ぶだろうと思う。
自身で自身の身を滅ぼすのがそういう人間の顛末なはずだ。