【死の淵を見た男】




いつも本屋さんに行くと、この一冊を睨んでいた。

いつか読まなければいけない本だったが、読む勇気が出なかった。


あの3月の災厄の日からすでに3年近く経とうとしているが、私は一度も東北の被災地を訪れていない。

何度も行こうかと思った。

我社の支店や拠点があるし、友人も多い。

お世話になった方もいる。

いつでも行こうとすれば行くことはできた。

しかし、私の中ではあの被災地に足を踏み入れることは、簡単にはしてはならないことになっていた。

今まで何度も書いてきたことだが、あの日大阪で勤務中、やけに長い揺れを感じ、ラジオもテレビもない事務所の中で、ネットにて東北の状況と原発の状況を知り、帰宅した自宅のテレビで津波を知り、随分経ってから日本の国土で何が起きていたかをはじめて知ることが出来た状態だった。

関西では当時、ガソリンに困ることもなく、食べ物に困ることもなく、普通に仕事をし、子供たちは学校へ向かい、何も変らない日常だけが繰り返されていたが、その反対側にあった被災地では、親をなくした子供達が、泣きながら母を呼び、家を失った人々が水も食べ物も、来るものもままならないまま、必死に生きることだけを目標に、あの災厄の中を過ごしていた。



私は会社の決裁ルートを無視し、気仙沼中学校の体育館にマットレスを500枚と食料品や水を届ける為に、必死で車を調達し、金を工面し、NPOの力を借りて奮闘していたが、次から次へと襲い掛かる障害に打ちのめされ、気仙沼に向かう車の手配に躍起になり、自分の通帳が空っぽになった。

個人として自分の出来ることにが限界があり、日本人としてやるべきこととして、私はしっかりと経済活動をいつもどおり行い、日本の国益を守る為に、一人の社会人として、そして我社の事業部の全員と共にいつも以上にしっかりと働こうと誓い合っていた。



すぐに東北に出向いて、被災地でボランティア活動をしたいという気持ちもあったが、自分の立場としてやるべきことは、仕事をしっかりとやり続け、日本の経済の小さな一端を担うことこそが、自分たちの使命だと信じた。


その後、SNSなどの仲間の、東北を訪れている投稿などを拝見したが、私は被災地に出向くことが【軽はずみな悪】に思えてしまい、向かうことができなかった。
被災者ではない、当事者ではない私は、被災の現場を自分の目で確かめるという使命に対し、違和感を覚えていた。
(やることが違う。。。)
そんな風に思え、また、そこに向かうことは一種の興味本位でしかないのではないか、自分にそのような軽はずみな感覚が微塵もないのだろうかと自問自答してしまい、動けなくなった。



福島第一原発が電源を喪失したニュースを知り、メルトと水蒸気変換による水素爆発を懸念したが、一号機の爆発の瞬間をニュースで見たときはもう終わりだと思った。
そしてということは、メルトダウンが始まり、メルトスルーが直近であることも悟った。
同時に、福島第一原発の作業員に、どれだけの死傷者が発生したか、そしてどれだけの作業員がこれから時間をかけて被曝するのか、そして原子炉にも近づけなくなり、原子炉建屋にも入れなくなる事を想像し、2号機と3号機と4号機の建屋がいつ水素爆発するか、さらには最悪に事態として、核融炉、原子炉圧力容器と共に、原子炉格納容器も一緒に吹き飛ぶことを心底恐れていた。

十数年前に読んだ、広瀬隆さんの原子力発電の脅威について書かれた本の事を思い出し、あれからあの本の存在を忘れ、有り余るほどの電力を謳歌していた自分の生活を振り返った。



今更そのことを後悔したところで遅かったが、思わずこんな無責任な言葉が自分の口から出たのを覚えている。
(あ〜あ・・・だから言ったのに・・・・・)
言って瞬間で後悔した。
 

昔、広瀬さんの原発反論本を読み、周りの友人に話したことがある。
原子力って恐ろしいんだぜ)
原子力政策ってのは電力会社と政治家と一部の利権屋の為のものでしかないんだぜ)
(国民はいいように騙されているんだぜ)
そんな事を言うだけ番長だった私は、その後も当然無力のまま、原子力脅威を学んだその本によって得た知識を、ほとんど忘れていた。
そして、まるで忘れ去っていた自分の怠慢さと、無行動に対して【神の罰】が訪れ、それが一挙に東北の地に【神の冷たい斧】によって振り下ろされたみたいに、福島原発の水素爆発を見、感じた。

言いようのない自己嫌悪と、仕事で言い聞かせる自分の現在がごちゃごちゃになりながら、結局振り返られない毎日を過ごし、スーパーに買い物に行くと、いつもどおりに並ぶ色とりどりの贅沢な食材と、デパートの売り場に並ぶ色鮮やかな衣類や小物を見る。
同じ国土でこれほどまでに違う生活状況に違和感を覚えるものの、冷たい塩水に流され、息を殺がれ、苦しみぬいて亡くなっていった子供達が、我が子ではなかったことに安心してしまう薄情で現金な自分に喪失感と無力感を感じ、そんな事を頭の中で反復させながら異様な違和感を感じながら、今、あそこでは何が起きているのだろう・・・。原発メルトダウンがたった数十メートル先で起きている中、原発の作業員の方々は、どんな思いであの場所で見えない敵と戦っているのだろうか・・・・。
テレビで原子炉の状況、原発の事故状況の予測を、まるで他人事のように空話する原発学者の話を聞きながら、半分信じ、半分腐心し、それでも知ることの出来ない最前線の現場の痛みを、私は想像していた。

一国のリーダーである総理大臣が突然、電力喪失した原発に乗り込み、自分の生命を賭して作業にあたる作業員達を罵倒し疾風の如く去っていったニュースを見て、【菅】という一国のリーダーを間接的ではあっても結果的に選んでしまう選択肢である民主党に、この国の政権を渡してしまった一票を深く後悔した。
正直言ってあの時、比例代表だけ入れてしまった私の一票の理由は、本質的な政策への期待感ではなかった。
子ども手当37,000円】
それが魅力的だっただけだった。
恥じている。

これも私は神の罰だった気がした。
時間と金の概念柄脱することのできない人類を一方で嘆きながら、自身の損得で月あたり、他力本願、子供一人当たり4万円近く利益を再分配してもらえるという、異常なバラマキ主義に、私は淡い期待をしてしまった。
子供が5人いる我が家では、4万円の5人が毎月入るなら、毎月全額使いまくろうと意気込んで、立候補者として、小選挙区としての政党は認めはしないが、比例代表でなら、今回くらい入れてみるか・・・。
そんな不順な根拠で入れた一票で、【菅】は、一刻を争う原子炉へのベントを遅らせ、海水注入を止めようとし、そして遅らせ、結果水素爆発へと繋がったのである。


自分がノコノコと被災地を見物しに行くのは申し訳ないこと、そして、電力需給を徹底的に謳歌した生活を繰り返していたこと、時にはパチンコのような究極のムダ電力の場所にも行ったこともあったこと、不順な理由で比例で民主党に一票入れたこと、我が子、我が家庭は、東北の現状とは天地の差で、なに不自由ない後ろめたい生活であること、自分の通帳と、マットレス500枚程度では、神の許しは得られなかったこと。
色んな気持ちが交錯し、この一冊を購入する勇気が出なかった。

手に取り会計を済ませ、読み始めると、そのまま何度も涙を流した。
命を懸けた現場の有志と勇者が、福島とわが国を守った。
死を背中に感じながら、隣り合わせにしながら、彼らは戦った。
放射能の恐怖と戦いながら、原子炉爆発だけは食い止めなければと、放射線まみれの建屋を駆け回り、給水ラインを必死で確保し、ベントのためのバルブ開放を行い、各地から集まった消防隊員と、自衛隊員と共に、給水を行い、必死に冷やす事に集中し、水素爆発を数メートル横で体験しながら、破片を体に浴びながら血を流し、地下室で制御の復興中に津波にのまれ、被曝と、被爆と、怪我と、死を体感しながら、原子炉爆発を防いだ。



冷たいようだが、メルトダウンし、圧力制御もゼロになった2号機は、最も多くの放射能を大気中に撒き散らし、地下に溶けた燃料から、放射能が流れ出しているはずだが、それでも今のように、ギリギリの攻防ができる状態で収められたのは、自分の命を懸けて、電力喪失の瞬間から、津波に流され、海水を飲みながら、給水ラインを確保した勇者がいたこと、そのおかげだったことを日本人の多くは知らない。
なんとなく聞いてはいたが、本書にはその緊迫した内容の全てが描かれている。
そして、その津波に遭遇して亡くなった、仕事に実直で真面目な若者がいたことも、ほとんどの日本人は知らない。

そして亡くなった吉田所長と、最後まで最前線で戦った勇者。
消防隊員と自衛隊員。

そして家族を抱えている若い社員が、悩みながらもそれでもまた振り返り、原発へ戻っていった事。
そしてあるいは断腸の思いで家族の為に、仲間を残して現場から去った若い社員たちにも。結果がどうであったにせよ、ただ頭が下がる思いだ。

【死の淵を見た男】(門田隆将)PHP研究所



ぜひ読んでください。

何度も涙が出てきて止まりませんでした。