ネガティブに考えてみる
男と女の間には、決して光の届くことのない深い闇がある。
若い頃は、男と女のその違いからくる、ひとつひとつの小さな出来事を、喜んで語り、楽しんで過ごしたであろう。
夫婦も晩年に近づくと、家族として暮らす生活の中で、その男と女の違いが重く息の出来ないほどの重みとなって男に覆いかぶさってくる。
これは我が家のことだけを言っているのではない。
きっとどこの夫婦も同じような道をたどる事になるだろう。
私も最近は仕事が終わって家に帰ると、心の中は(ただいま)ではなく、(なんかスンマセン)と、目を合わすのも恐怖という心境。
もちろん何も悪いことをしているつもりも覚えもないのだが。
女は結婚前、どれだけ男に媚びて、私、がんばりますっ!と、いい妻になると約束したとしても、結婚した瞬間から少しつづ、、いい妻でいようとかいい妻になろうということではなく、
【今日はこれだけ夫を我慢した!】
【今日も一日私はよく耐えたわ!】
というように、男と暮らすことによって感じる相手への不快さをじっと耐えぬくことを達成した、その自分の偉業を自画自賛する。
過去何度も、女の約束を信じてはいけないという学びの機会を得ておきながら、またしても女の約束を信じてしまう男。
そして意外とあっさり破られているのだ。
男は女に母性を求めるが、女が男に求めるものはそんなレベルじゃない。
女はひとりの男に対し、複数の男に存在するであろう要素を求める。
自分が暮らす男に対し、複数の他者の男の長所を求め、要求し、そして比較する。
どれだけ努力を重ねて有能な男に成長しようとも、その成長に比例して、優れた他者と比較する。時には芸能人をその対象となるほどに。
そもそも男は他者に自分の弱みを見せない。見せられない。
しかし女は違う。他者と自分の悩みを共有したがる。
特に同姓同士ではひたすらその共有を実現しようとする。
その実現のためにはどれだけ男を批判してもかまわない。
そしてさらには、自分が耐える原因である対象の男に対し、自分の悩みから来る不快さの共有を求め、自分と同じように苦しむ姿を見たがる。
不快と感じる要素を理解できない男が鼻につき、同じ苦しみ以上の不快さを提供することを目的とし、実行する。
古代から外に出て行って、狩猟したり住む場所を確保したり、略奪や敵から家族を守る役目を負っていた男は、脳が【集中の脳】であり、女は家を守り、他家族との連携を重視し、コミュニティを作る役割だったことから、脳が【分散の脳】なのだ。
明らかに脳の創りが違っているのだから、男と女の間に存在する闇を光照らすことの出来ることなど、宇宙のどこを探してもありえない。
遺伝子のX染色体だけで生命を完成させる女とわずかなY染色体が入り交ざることによって女が出来る過程で間違えたように男となった男たち。
話によると、その男を形成するY染色体は、X染色体が1098の遺伝子を持つのに対し、たった78の遺伝子しか乗っていないとの事だ。
そしてさらに、このY染色体は人類の誕生以来の進化?変化?によって、どんどん縮んでいる。
そして以後、500万年で、このY染色体は絶滅し、いわゆる男という生物は、絶滅すると言うことだ。
男は絶滅危惧種なのである。
すでに絶滅に向かって進んでいる地球環境の敗北種なのだ。
女と口論になると、女はいつも昔の話をする。
あなたは出産のときにいなかった。
とか、
あの時あなたは私にこう言った。
など、
女の男に対する怒りには期限が存在しない。
女はひとつの不満を味わうと、それをじっくりゆっくりと時間をかけて熟成させ、膨らませ、時間と共に怨みに成長させる。
そして一層巨大化し、強大な怨みに変化させていくのである。
決して忘れないその怨みを、いつまでもいつまでも、いわば死ぬまで蒸し返し続ける。
男は死ぬ間際、(なんかスンマセン。。。)と思わされて死んでいく。
男は不満をひとつのペナルティと捉え、過ぎていく時間と共に風化させる。そしてその原因を自身に求め、自身を変化させることで不満の発生機会の芽を摘もうとする。
しかし女は男のそのような努力に興味はない。
そもそも不満を解決するのに自分の変化を使命になどしない。
相手が勝手に変化して、不満の機会を減らすことは、至極当然のこととしか思わない。
女は男への不満を、ポイントカードのポイント累積のようにどんどん溜め込んでいく。
そして一定の量がたまるまで、【私は耐えている!】と心で叫びながら着々と累積を続ける。
辛抱して溜めて、辛抱して辛抱して、そして一挙に使用する。
私はずっと我慢してきたのよ〜〜!!あの時もこんな時も!ほら!こんな事だってあったのよ!
そして。。。このときテメエはこう言ったじゃねえか!
と、途中で完全に男の言葉に変わってしまうほどキレる。
男はショックを受ける。
(へえ〜。そうなんだ。そんなに我慢させていたんだ俺。。。)
(俺はこの家庭にいただけで、妻をそんなに苦しめていたのか。。)
(老後は殺されるか捨てられるか。。。だな。。。)
(働いて金を稼いでいる内しか、居場所は確保できないって事だな。)
(しょせん、金ズルなんだな男って。。。気づけなかった。。。)
そして、
(でも、妻に殺されるならそれでもいいや。。。)
(自分が選んだ女にこれほど怨まれるなら、老後捨てられても仕方がない。。。)
(選んだ自分が悪いんだ。。。)
と、あっさりと、綺麗に諦めてしまう。
つまり、男は女との結婚生活を、新婚当初のようにいつまでも夢見ながら暮らしているのに対し、女は時間の経過と共に、ただ男を我慢する事が現実の女の結婚生活となるのだ。
男の人生の下りは、薄い酸素の極限の世界で、少しづつ少しづつ、酸素がなくならない程度に大切に呼吸し、息を潜め、声を出さず、足音も立てずに生きるという奇跡的な難度の生き方が夫婦が円満に行くコツなのだろう。
気を抜いて足音を立てたりしたら、火がついたようにどやされる。
足音を立ててしまったことで、昔の怨みを並びたてられ、歩くことも恐怖になり、怯えた犬のように、目を合わせることも恐怖となる。
これまで子育てや会社の仕事や出世、稼ぎのアップなど、夫婦が手を取り合って必死に生きてきた道と思っていた人生は、実は女にとっては、ただひたすら、耐えに耐えてきた、辛抱の人生だったにすぎない。
しかしそんな道であっても、それを上り坂とするならば、人生の下り坂は、妻との間に結ばれていた命綱(いのちづな)を、その手からはずし、別々に降りることが上手に下る為の方法なのかもしれない。
下りは先を歩く男が転べば、結ばれていたら女も共倒れになる。
上っているときは、下で女が躓いても、上で男が支えて行けた。
下りは後ろにいる女は、転げ落ちる重い男を引っ張って支えきることは出来ない。
だからロープは、下り道でははずして生きるほうがいいのかもしれない。
どうせ同じタイミングでゴールすることは出来ないのだ。
男は自分がゴールする前にノタレ死んでもかまわないと考える生き物。
私も本気でそう思っている。ほんの10数年の時間で、男はここまで狩猟ホルモンを抜き取られ、牙を抜かれる。
しかし私は、妻にゴールしてもらえればそれでいい。
自分が産んだ子供たちに囲まれて、大往生してゴールできる力と神経と権利を持つのは、きっと女なのだろう。
そのためにを良いように上手に使い捨てられるように、男は最初から出来ているのだ。
もしかしたら【愛】などというものは、
男が女を生かし、
女が男を上手に【食う】、
それを認める為の、
男の【あきらめ】でしかないのかもしれない。
そんな風にネガティブに考えてみると、色んなつじつまが合ってくる。