リセット

全てを書けるわけではないけれど、この1ヶ月ほどの間、物凄い濃厚な日々が続いた。

色んな出来事が重なり、思わず気持ちが折れそうになった日もあったが、結局妻のおかげで私は今日がある。


最近このように、ブログ記事を書くことも迷っていた。

読んでくれる人が、何かの刺激や、自分の人生や生活に、少しでも活かせるインフルエンスを、私の記事で、落とせたらいいなと、そんな風に思っていた。

私の師匠はいつも、私や教え子たちを導き、人生を教えてくれた。

おこがましいかもしれないが、私はその師匠の一番弟子のような気持ちで、師匠の言葉を私はいわば、【師のメディア】となって、この世にいない師の代わりに、あの人ならどう言うか、あの人ならどう感じるか、そんなことを考え、師のメディアに徹しようとする気持ちもあった。

時に攻撃的であるようで、しかし無償の愛にあふれた師の言葉と表現と笑顔は、師が亡くなってからも、私の中で生き続け、そして成長し続けている。



読者が増えたことで、書ける内容も限られてくると同時に、題材として書かれた人や事柄に関しての影響も、耳に入るようになった。

私の書いたことに意見を言う声も耳に入る。


SNSを始めた時は、昔の仲間や友人と、遠くに離れていても、近くにいるような感触に、楽しい気持ちでいっぱいだったものだが、それが本当に私や私の家族にとって良いことだったのか、それを疑問に感じるシーンが時に存在し、気持ちを迷わせる。









そんな時、私に事件が起きた。


先日の木曜日の夜、呼吸困難に陥り失神。そして心肺停止。

妻が必死に人工蘇生し、長男が変わり妻が救急車手配。

3分から4分の間、心臓が停止していたらしい。



一度止まった心臓だが、妻が物凄い声で私を呼び、長男が大声で私を呼び、心臓マッサージを受け、救急隊員が到着する直前、私は息を吹き返した。


その後、救急車の中で治療を受けながら1時間救急病院を探して、たらい回しにあったそうだが、私の記憶では5分程度の時間にしか感じていない。

同じ話を何度も繰り返していたとのことだった。





全ては後に聞いた話である。



覚えているのは、息が苦しい、呼吸ができない、救急車を呼んだほうがいいかもと、私が遠のく意識の中で発した言葉、そこまでだった。



長男の話では、妻は呼吸の止まった私を蘇生しながら、子供たちを必死に呼び、私を必死に介抱し、大声で私の【名字】である【住吉】という言葉を以って、私をあっちから呼び戻したそうだ。



『すみよしっ〜!』
『すみよしっ〜〜!!』
『起きて!』

と。



そんな時こそ高校の同級生、となりの席だった住吉と武内の昔に戻る、私たち夫婦。




私は最近どこかで、もう妻は私を食う為の手段のために使う、稼ぐ為の生き物だとしか思っていないのではないかと、どこか疑心暗鬼だった。


このことが起きる前、ちょっとした出来事があり、それまですれ違いの連続だった私たち夫婦は、まるで出会った頃のように戻り、昔まだ子供が小さかった頃のように、いつも隣に寄り添い、手をつなぎ、見つめ合って夜を過ごす、懐かしい夫婦愛を取り戻していた。





その姿を長男が見て、お父さんとお母さんが、また自分が幼かった頃のように、そして昔のように仲良くしているシーンを見て、逆に何かが起きる前兆ではないかと、逆に不安に感じていた、と、私の心配停止後の入院時、病室で話してくれた。



この1年ほど、私たち夫婦は様々な苦労とストレスから、互いを尊重できず、すれ違っていた。

不満はピークに達し、疲れを互いのせいにして、初心を忘れていた。



あるひとつの小さなつまらない出来事があり、そしてそれが私たち夫婦にとっては大きな葛藤となった。

だがしかし、今それを乗り越える道を、自然に共に歩いている。

そのプロセスを一緒に歩むことが、私たち二人の本来の姿を取り戻すきっかけになったのかもしれない。



自然に会話し、穏やかに対話することは、本当は実に簡単なことであったのに、それすらしばらくできていなかった。


自分の気持ちを表にあまり出さない妻を、私は心で攻撃し、話さないことの罪を妻に捏造していたのかもしれない。



妻の話さないことの意味は、私だったらわかることであったはずだった。


そしてそれがわかった。いや、取り戻したと言っていい。





そんな風に歩む数日たったある日、呼吸が止まり心肺停止するという、大きな出来事が起きた。






しかし、私を天国で守ってくれている【師】が、私をそこには入れなかった。

まだやることがあるはずだと、現世に送り返されたようだ。

そしてついでにわが師は、私たち夫婦に起きていた、積もったすれ違いの、いつの間にか山積してしまった私の膿を、すべてもらっていってくれたのかもしれない。




そのために一度、私をリセットしたのかもしれない。




【なんばしよっとかお前〜〜!】

と、私を叱咤する声が聞こえる。









ただしかし。


出来事による経験と理解は、これまでの迷いと葛藤の末に可能となる。

これまで考えてきたことも、向き合ってきたことも、正しいか、間違いかだけで論じることではなく、【全ては通る道】だったのだ。


その道を歩み、その道で感じ、その道で考えたから、今がある。





オープンな私と、オープンではない妻。


見せること、伝えることで自分を探す私と、見せない、伝えない美学で自分を律する妻。


この正反対な夫婦は、実はこんなにも互いを好いていたのだと、改めて感じる今日だ。