【欲しい】より【出来る!】と。

女性は2人以上子供を産むこと。
それが仕事でキャリアを積むより大切なこと。

そう言った校長先生が教育委員会からいじめられている。

さらに、田島を代表とする男性蔑視のフェミニスト集団から格好の的になっている。



子供は女性しか産めない。このまま日本が少子化していったら、この国は本当にいつか滅びてしまう。

経済的に破綻が近づき、国力が弱まり、交渉力が低下して、支那に占領されるだろう。

国の事情は時代によって変わる。

すなわちその時代を生きる国民も、時代によって価値観が変化する。

これからの時代は日本にとって試練なのだ。

男性は積極的に結婚して、積極的に働いて、積極的に子供を作ろうとして、女性を口説き、女性を守り、子供を育て、経済的に家族を支援して、勤労と納税の義務を果たさなければならない時代なのではないか。

女性は子供を産める年齢期に、より多くの子供を育てる覚悟とチャレンジに向き合い、出産し、育て、手が離れたら仕事に就き、経済社会に復帰する。そんな時代になるのかもしれない。


【俺は結婚はしたくない。】
【私は子供を産みたくない。】

それは個人の自由だ。

子供を産みたくても産めない人もいる。


だがそこだけを引き合いに出して議論を意図的に矮小化する輩が多い。




今を生きる人類は、今の自分が最適に、最大化して生きたいという願望だけで生きていいのだろうか。


特に日本人はモラルの仮面の下に、自分だけ平和でいたい、自分が死ぬまでの間だけでも平和で暮らしたい、欲しい!欲しい!と心で叫び、表で何食わぬ顔する。物凄い欲しがる民族でありながら欲しがっていない顔をする。

私はこうしたい!俺はこうしたい!という考えや生き方は、言い換えれば、【欲しい!】【欲しい!】と自分の欲求を追及しているに過ぎない。
さらに言えば、【欲しい!】【欲しい!】というだけでは、おもちゃを欲しがって泣きじゃくる子供と同じとも言える。




日本人はそろそろ、【欲しい!】というのではなく、【出来る!】と発言すべきではないだろうか。


【出来る!」と自分が他者に対して発言することは、言い換えればその発言の時点ですでに、他者へ貢献することが出来る発言である。

出来るよ!と他者に伝えることが、他者を助け、他者に貢献し、延いては社会への貢献になる。



子供を産める人は私は産めるよ!という生き方をし、結婚して家族を養える人は、俺は養えるよ!私は養えるよ!という生き方が出来たら、日本の将来が明るくなる気がする。