神の斧




15年前。

30歳だった私は結婚を期に、定職に就くことを決意した。

それまでの私は、恩師と共にコンサルタントの仕事をしたり、3年ほど恩師の経営するスイミングスクールの経営をしたり、自分で販売関連の仕事をしたり、様々な方法で金銭を稼ぎ、実質今より経費には苦労せず、二子玉川の100平米近いマンションで暮らしていたが、紆余曲折あってスイミングも閉鎖し、全てをマイナスからやり直しするほどの分岐点を経て、妻と再会し、数箇所の企業面接を受けた。

日本テレビでは最終選考まで行ったが、最後で落ち、現在の会社では、1時間半もの長い面接を受け、色んな事を根掘り葉掘り聞かれてから、『ところで君、明日の会社説明会来れる?』の一言で採用が決定し、実家にわりと近い、浜松の新設支店に配属となった。


そもそも募集要項には年齢制限があり、【27歳まで】と書かれていた上での、30歳での応募だった為、自己PRでも書かなきゃ、書類で落とされると思い、自分の過去の水泳に関する賞罰を付け、やるときゃあやるぞ!というそんな気持ちを前面に出しての応募だった事があって、人事からその書類を渡された配属先の浜松の当時の支店長は、私の事を【自己PR男】と思ってか、ひどく冷たい扱いをされた。


当時の支店長は物凄く気分屋で、機嫌が悪いと時々どうでもいい事でブチギレしたり、話しかけても完全無視したり、機嫌がいい時は、突然近寄ってきて、ナヨナヨとくっついてきたり、私にとっては完全に病気に思える程の人で、新設当時は仕事もなく、毎日毎日夕方になるとソワソワし始めて、定時の5時半になると、営業の私たちに声をかけた。

『さあ、みなさん。ちょっと行きましょうか。。。』

そう言って通勤用のセカンドバックを脇に抱え、事務所の真ん中に立って私たちを見る。


営業職は当時3名で、主任職の先輩と、高卒で入社した19歳の若者だったが、支店長が待っている状態で、仕事を続けていると物凄く機嫌が悪くなる為、仕事を途中で切り上げ、書類を全部引き出しに突っ込んで立ち上がる。


毎日近くの色んな店に行き、贅沢に食べ物を注文して酒を呑む。

最初はビールだが、すぐに日本酒に変り、私たちも必然的に日本酒を飲まなくてはいけなくなった。

当時は自分の飲みたい酒を飲むなんて事は許されなかった。

支店長のとっくりが空く寸前にお酌をする。

そのタイミングが遅いと、機嫌が悪くなる為、私たちは必死だった。

その支店長は結局11ヶ月でやめてしまったが、あの当時の経験は地獄のようだった。

とにかく毎日酒を飲むのが辛かった。

会計は支店長が行い、全て経費で落としていた。

しかし経費精算は私たちの名前でやらされたので、会計的には私たちが接待費を使用した事になっていた。



だからいつかこの支店長のせいで、会社クビになるかもしれないななんて、本気でそんな事を思っていた。






主任職の先輩社員も恐ろしい人だった。

支店長の毎日の誘いで飲み、支店長が先に帰る事があると、その主任は、『おい住吉。もう少し付き合え。』と、そういってそこから本格的に日本酒を深酒し始める。

そして、支店長の文句と、私たちへの説教が始まる。

私が頻繁に説教された内容は、端的に言えばいつもこんな言葉だった。

『おめえ〜、ひとりでか〜っこつけてんじぇねえ〜〜〜???』

青森出身の主任。

酔うと必ず出てくる東北弁で、回らなくなったロレツでグダを巻く。

私はかっこつけたことなど、そんなつもりなど一度もなかったが、19歳の新卒の若者が何かに困っていたり、わからなかったりすることがあると、すぐ上の私の役割と思い、色んな事を教えた。

しかしその酒乱主任は、それが気に入らなかったらしい。

さらに、仕事で私が能動的に動くと、必ず飲んで、それをかっこつけてると言ってグダを巻かれた。

そんな日は朝方4時くらいまでつき合わされ、次の日の出勤時間には、まだまだ酒臭い状態で、みんなが二日酔いみたいな状態だった。


間接的にいじめられることは日常茶飯事で、シカトされたり、取れそうな仕事をダメにされたり、良い客を捕まえてくると、取られたりして、中学生のイジメよりもえげつなく、腐った女(女性の皆様、ごめんなさい)よりも酷い陰湿な性質で、後輩の私たちを苛め抜いた。





あれから15年経つ。

今の私の部署で、あんな上司はひとりもいないし、あんな文化も存在しない。

今はあの当時と比較したら、会社は天国である。

気のふれた支店長もいないし、陰湿極まりない上長もいない。

今では当時からは考えられないほど、我社の上司も人格者が増えた。



私はその後、その主任職を仕事で追い抜き、先に課長職になり、さらに先に幹部職になり、彼を3段階飛ばして責任者職になった。

そうなってからも体育会出身の私は、彼には敬語で接し、傍目でみれば、彼が上司と見えるような所作で彼と接してあげた。

しかし彼はそれをしごく当然というそぶりでいて、結局転勤先の責任者とウマが合わず、会社を辞めていった。

転勤先の彼の周りの社員から、時々電話があり、私と仕事をしていた当時のことを聞かれ、気の狂ったやつがやってきたとばかりに、さんざん不満を聞かされたが、私にできることは、彼を気にしていたら、自分がやられてしまうよという程度のアドバイスしか出来なかった。



一度社長出席の会議で、転勤後の彼と同席した戦略会議があり、社長が私の戦略に感心し、彼を戦略を愚評した上で、社長が彼に言った言葉。

『おい!小○原!一度、住吉の所に言って勉強しなおして来い!』

(あちゃ〜〜〜)

私は頭を抱えた。

プライドの塊のような人だから、素直に私のところに勉強に来るわけなどない。まして、一度は同じ職場で上司だったこともあるのだから。

その会議の後、しばらくした夜中に突然彼から電話があり、酔った状態で、なんと電話で文句を言い始めた事もあった。
私の個人中傷であった。



しかしひとつだけ後悔していることは、一度あまりにも酔って何時間も愚だ巻いて説教を続ける彼に、いよいよ私がブチギレてしまったことだ。



『てめえ、気持ちわりいんだよ!』
『てめえなんか、会社の看板しょってるから、偉そうにしていられるだけじゃねえか!』
『てめえみたいな女の腐ったような男(女性のみなさま、ごめんなさい)は、上司なんかやる権利ねえんだよ!』

たぶんそんな事を言ったはずだ。

そしてブチギレ返されて完全に893言葉で詰られ、2〜3発殴られたが、ぜんぜん痛くないのでそのまま胸で押し込んで、酒屋の部屋の隅に追い込んで足を掛けて座らせた。
そして上から見下ろして、明日辞表持って、てめえに出してやるから、責任者へ上司として提出してみろ!などと怒鳴り散らし、部屋を出た。




そのことをして、今では後悔している。

そんな事をする必要まではなかった。

なぜなら、私と彼とは育った環境が違いすぎたのだ。

私は奇跡的なほど恵まれた人たちに出会い、
奇跡的なほどの良心によって教育され、
奇跡的な才能を持った指導者に指導を受け、運良く栄光の歴史を積み重ねることができたのだから。

もともと弱くて貧弱で、ヘタレの私がそんな青春時代を過ごす事ができたのは、素晴らしい【師】と【先輩たち】と【友人たち】のおかげだった。


高校を卒業してすぐに入社し、誰にも頼れなかった彼とは、あまりにも多感な時代に育った環境が違ったのだ。

そんな彼と、私のような人間が、ウマが合うわけがなかった。

だから言った言葉を後悔している。


私は黙って耐えてあげるべきだったのではないか。


そんな事を今になって時々振り返る。







会社の職責として、彼を追い抜いて出世し、彼の上司となった時点で、私にとってはノーサイドのつもりだったが、彼にとってはきっと違っただろう。

きっと今生の恨みを以って、私を見ていたかもしれない。




マチュアスポーツを経験し、人は決して平等とは言い切れないということを知った。

天分を持って生まれた人もいる。

生まれた星で、すでに圧倒的に勝っている(まさっている)ということが、現実には存在する。

いや、確かに未来は自身で創造できる。

しかしその成果を勝ち取る時、そこには奇跡的な【環境の積み重ね】があるからこそ、勝利し立ち上がれる。



一方、奇跡的に環境や人に恵まれず、絵に描いたように人格崩壊してしまう人生もそこにはある。

この世は冷たく厳しいものだ。

そして人生は辛く悲しい。

敗者は勝者の横で膝を付き、這いつくばって神の振り下ろした【斧】でばっさりと切られるものだ。

それだけ過酷な人生だからこそ、勝利の喜びは一段と輝かしいものとなる。




彼の人格はきっとあのままだろうけど、違う環境で良い成果に恵まれてほしい。